『絶対絶命ジュリエット』


 私の名前はジュリエット。名家キャピュレットの娘。朝露に濡れる可憐なる乙女にして、誰もが知っている悲劇の代名詞。
 初めは何が起こっているのだか分からなかった。私は馬鹿みたいな恋に狂って、馬鹿な行動に酔った挙句、勘違いした馬鹿に死なれて馬鹿みたいに死んだ。
 馬鹿でしょう。なのに私はまた同じところで恋をした。恋をして狂って勘違いされて死なれて死んだ。
 おかしいと思ったのはいつからだったかしら。なんせ、神様が世界を作るよりも短いサイクルで死ぬものだから、目まぐるしいったらない。無鉄砲で無分別であまりに唐突。しかも終わり方は毎回自殺だなんて、不思議の国に住まう永遠の少女とは大違い。黄金の午後なんて私にはやってこないのだ。
 なのに見るものは再び死を所望する。だって私はジュリエット。未だ恋を知らず、老婆に育てられてて外を夢見る、口だけ達者な小娘に過ぎない。そして私は恋の炎に燃え上がり、窓辺から手を伸べて愛を歌い、それが叶わず絶望に咽び、胸を剣で突き刺すのだ。
 そんな世間知らずのお嬢様は、見る者をいたく感動させるらしく。気が付いたら周囲に流れる涙は私の胸から溢れる血よりも激しくなっていた。洗われるどころか塩水に削り取られるようにして、私はどんどん殖えていった。
 しかし、だからといって降り注ぐ運命が変わるわけでもない。ロミオは相変わらず夜闇に紛れ、塀を越えてやってくる。おおロミオ。何故あなたはいつまで経ってもロミオなの。
 辟易した私は何度もそう叫んでやりたくなったものだ。けれど私はジュリエット。ロミオに焦がれずにはいられない。例えロミオがそのほんの数時間前まで別の女を追っていたのだと知っていても。いいや、知らないからこそ幼いジュリエットは恋に焦がれる。真っ直ぐな愛を信じ、彼の心変わりを恐れるのだ。だから私は、それを知っていてはいけないのだろう。なら知らないことにしておこう、そう、あの空に輝く月にかけて。
 私は歌う、頬杖をついて。テラスで彼に背を向けても戻ってくる、それも二度も。宵闇に紛れる愛しい人に、この上気した頬を見られてしまうのではないかと恐れながら。そんなに恋しいなら身を投げてしまえばいいのに。塀を越える翼を持つロミオならきっと受け止めてくれるでしょう?
 けれど私はジュリエット。一途だが、甘ったれでもある。毒薬を飲む勇気はあるくせに、一人愛する者の元に向かうことを知らない。だから逃避行が成功しないのだ、このグズめ。
 ああ。どんどん私の生きる道がなくなっていく。結局僅かな希望にすがって毒薬を飲み、起きたらロミオが死んでいて、仕方なしにロミオの剣で自らの胸を貫くのだ。なんという予定調和。全く、ロマンチックなこと。こうして敵対する二つの家は和解するのである。めでたすぎて反吐がでる。
 でも、まあ、私が死ぬと悲しいという人もいてくれたらしい。何度か私は死なずに済んだ。そんな風に私を書き換えた人がいた。ロミオとジュリエット。恋の翼をはばたかせ、二人で塀を越えて逃避行。ねえ、ところでこのロミオ、どうにかならないの。
 けれど私はジュリエット。物思いにふけり、乳母を使役し、神父の前で怒鳴り散らすしか脳のない娘。ただ、もう僅かともの賢さはないだろうか。せめて、ロミオがいなくても生きていけるような。
 しかし、ロミオとジュリエット、物語は二人がいて初めて成り立つ。故に今宵もロミオはのこのこと塀を乗り越えやってくる。ああ、朝が来るまでおやすみを言い続けるわ。不眠症にしてやるのよ、くたばれ憎きロミオめが。
 そう、ロミオ。私の永遠の恋人。蝋人形のように完璧な人。一人で突っ走る癖があるのが玉に瑕。そんな彼の、どこが良かったんだろうか。大体、互いに一目惚れとはどういうことなのだ。ねえロミオ、あなた、たまには私以外の女でも見たらどう?
 全く彼は何を考えているのだか。私にはさっぱり理解ができない。恋に燃える男の影を押し付けられ続けて、彼は満足なのだろうか。
 それに、生きていられる時間はそう長くなかった。やっぱり、幸せになる私たちは皆様のお気に召さなかったみたい。結局のところ、ジュリエットは悲劇の代名詞なのだ。一時期はロミオの初恋の相手も私だったそうだけど、それも廃れていった。分かるわ、人間らしくないもの、そんなの。物語は真理と虚構が混じってこそ美しい。
 だけど私はジュリエット。書き換えられることに文句など言ってはいられない。忘れ去られた人なら、私の脇をいくらでも雨粒のように過ぎていった。なのに私は転がって転がって、未だ初めての恋を歌い続けることができる。ある者を涙させ、ある者からは憐憫を、ある者からは嘲笑を浴びせられながら。
 私の心はナイフで削り取られ、その部分をパッチワークみたいに修復される。人の手で。ジュリエットは一人ではない。削り取られた部分は違うジュリエット。人を楽しませるためなら、私はどんな歌も歌う。なのに、ロミオからは逃げられず、物語は同じ場所をぐるぐる廻るばかり。ああ、次は第何幕なのかしら。そこにいるのは元気なジュリエット? 内気なジュリエット? それとも、ジュリエットを名乗る『何か』?
 一人語り部を経るごとに、物語は変わっていく。まるで心を映し出す鏡のように。ならば私は鏡そのもの。人の心を語る美貌の鏡。
 けれど、ならば私の心は誰が映し出す?
 今日も私は、剣を刺して死んでいくのに。
 誰が私を救うのかしら。道化となって笑いものにされるような、そんな語り部はいるのかしら。
 あなたは何をもって私を語る?
 あなたは何を知って私を語る?
 あなたの望みのままに私は踊る。何度でも。
 私は全てに書き換えられる。付加されて奪われて、放られて戻されて。
 涙の結末、笑いの結末。けれど私の安らぎは一体何処?
 もう、真っ黒になってしまいそうなの。

 ジュリエットは、絶対絶命なのです。