少年の双剣


 ――それを手放す気はないんだな。

 ――別に構わないさ。お前が持っていたいなら、持っていればいい。お前のものだ、それは。



 ぱちぱちと暗い夜の黒を開いて光を灯す焚き火の向こう、彼女はとても上機嫌とは思えない顔でそこにいた。
「いいよエステル。今日は僕が見張ってるから、もう寝なよ」
 ヨシュアはなるべく言葉を選んで、そう声を投げた。だが彼女はむっとしたように頬を膨らませて幾分か早口にまくしたてる。
「昨日もヨシュアが見張りだったよ。今日くらい私がやってあげるから、ヨシュアが寝なさい」
 お姉さんの言うことが聞けないの、といわんばかりの口調。温かい炎の色に染まった瞳には、僅かな苛立ちが含まれているのが伺える。
 夜の森は暗く、このくらいの年頃の少女ならその中で眠ることに抵抗を覚える筈なのに。全くそんな素振りを見せない彼女にヨシュアは内心で苦笑した。守る必要も、見守る必要もないのではと思わせるくらいに、彼女は強がりだ。
 慣れない旅を続けて、少し体の線が細くなったと思う。本当なら、野宿の準備を終えてすぐに眠りたかったろうに。今日の夕方頃には、魔獣と戦っても棒術が冴えないようだった。疲れた、疲れた、と不満そうに言うから、少し休むかと訊くと、早くあの不良中年を叩きのめしに行くんだと言ってきかない。今日も説得して早めに休息をとることにどれだけの苦労が強いられたことか。
 今だって同じだ。ヨシュアだったら、その気になれば一日二日徹夜したところで支障はない。だから夜の見張りを引き受けようとしたのに――この様で。
 だが、そこで『疲れているんだろう、早く寝た方がいい』などと口にするほどヨシュアは頭が悪く出来てはいなかった。
「それじゃ、半分ずつにしよう。僕が途中まで見張って、それからエステルを起こすから。そうしたら僕も少し眠らせてもらうよ」
 森の中の夜は長い。だから、その夜を交代で見張ろうと、そう提案してやっと彼女は納得したようだった。
「……うん、わかった。じゃあ、ヨシュアが眠くなったら起こしてね。絶対だよ」
 しっかりと釘を刺して、彼女は仮眠をとるために毛布をぎゅっと体に巻きつけて、木にもたれかかった。
「おやすみ、ヨシュア。無理したら怒るからね」
「はいはい。おやすみ」
 くすり、と零れるような笑顔で返すヨシュアに彼女は少し不満そうだったが、ほんの一分も経たない内にその吐息は寝息に変わっていた。ヨシュアの踏んだ通り、よっぽど疲れていたのだろう。
「全く」
 口の中で呟く。世話のかかる子だ、という続きは心の中で呟くに留めて。

 ――お前がどんな大変な思いをしてようと、この子の傍にいる時ほどじゃないだろうな

 父が、――あの父が、まだヨシュアが拾われたばかりの頃に、そう言ったのを思い出した。
 意味がわからなくて、父を睨んだ気がする。まるで自分のことを考えてくれていないような気がして。
 だが、父の言葉は真実だった。
 彼女のお守りほど大変な仕事をヨシュアは他に想像することができない。すぐに飛び出していって、すぐに笑って、すぐに怒って。驚くほど単純で。なのに、不意にとてつもなく鋭いことを口走って混乱させる。子供扱いはできない。だが、大人とも言えない。
 額を押さえるようにして手の平をあてて、ヨシュアは薄く笑った。きっと彼女は将来、あの父のような、もしくはそれ以上の人間になるだろう。それは、賭けてもいいくらいの確信がある。
 輝いて、煌いて。
 数多の風を起こしていく。
 おもむろに、すらりと双剣を抜いた。炎の色を吸い込んで、彼の剣は鈍く輝く。
 その刃を顔の近くまで近づけて、そっと視線で刃の切っ先を撫でた。ほんの少し、刃こぼれを起こしている。そろそろ新しい刃に付け替えた方がいいかもしれない。
 ひとまず応急処置に、磨ぎ石をだして刃にあてた。明日には次の町に着くだろう、それまでもたせなければならない。
 キィ、と耳に残る音がした。石と鋼鉄が擦り合わさる音だ。なるべく大きくならないように、ゆっくりと行った。
 この5年間、どうしてもヨシュアは剣の手入れをするのを彼女の前で行うことができなかった。
 あの父は、元々剣を持っていたという。だが、軍を抜けたときに剣を捨てた。そして棒が父の戦術の全てとなった。
 刃よりも明らかに殺傷能力の低い棒は、犯すよりもむしろ守る為にあるように思える。だから父はそれを迷うことなく彼女に受け継がせたのだろう。

 ――お前は、それを手放す気はないんだな。

 きっとヨシュアにも、本当は棒をやらせたかったのではないかと思う。
 ヨシュアがあの家に連れていかれたとき、持っていたのはその身とハーモニカと、そして双剣。
 他には何もなかったから、ハーモニカも双剣も、体の一部のように思っていた。
 父に武術を習ったとき、その双剣を手放す気はないんだな、と訊かれた。
 幼いながらに、きっとこの父は刃を持ってほしくないと思ったのだ、と感じた。
 だが、体の一部を切り離すのは、嫌だった。その時の自分にとって双剣を手放すことは、手や足を切り取られることと同じだったのだ。

 ――それでいい。別に構わないさ。

 父は鈍く笑った。その顔はいやによく覚えている。
 それから父は、一度も自分に棒をやらないか、などと訊いてくることはなかった。
 道を選ぶのは自分自身だ。人に強制されて歩くそれは、道ではない。
 キィ、と音が一瞬止まった。無性にこういうときは悲しくなる。既にこの体にとって刃はその一部になってしまったということが。
 人を傷つけることしか知らなかった。人も、己すらも、守ったことなどただの一度もなかった。
 壊れるなら壊れてしまえばいいと思っていた。自身がいつ朽ちて滅びようと、大した興味も沸かなかった。
 そしてそれは、今も同じ。
 壊すことしか考えていない。
 不器用に手を伸ばしてみても、ただ恐れるばかりで。
 信じる前に、疑っている。
 嫌になる。そんな自分が、たまらなく嫌になる。
 ふと、もしも自分が彼女と同じように棒術を習ったらと考えて。
 棒を振り回している自分の姿を夢想して、あまりの似合わなさに、思わず笑った。
 どちらに行くこともできない、滑稽な自分を、誰か笑ってくれないだろうか。
 そう思うと、更に笑えてきた。
 誰も、この傷をえぐってくれる人はいない。
 ただ受け入れて抱きしめてくれるだけだ。
 それが嬉しくて、ひたすらに悲しかった。
 断罪も、許しも、なにもない。
 ただ、絶望的な幸福だけがそこにある。
 嫌で、嫌で、仕方がない。


「ちょっとヨシュア! もう空が明けてきてるじゃないっ、なんで起こしてくれなかったの!?」
「ごめんごめん、夜だから時間の経過が掴めなくてさ。でもまだ出発まで少しあるから」
「ああもう、早く寝なさい!! ほら、私が朝ごはん作っておいてあげるから! 早くっ」
「朝ごはん、エステルが作るの? ちょっと不安だな」
「うるさいわねっ」
 ぼすん、と飛んできた毛布を顔で受け止めて、ヨシュアは苦笑した。
「そんなことすると目が覚めるよ」
「寝なさい寝なさいっ、ねーなーさーいーー!」
 東の空がゆっくりと白み始める頃、やっとヨシュアは彼女を起こしてやったのだ。彼女が怒るのも無理はない。
 出発までの短い時間の休息をとるために、毛布をかぶった。
 ぶつぶつ小言を言いながら鞄をあさっている彼女にちらっと視線を投げて。
 もう一度だけ、脇の双剣を見た。
 今日からも、この刃が自分の得物。
 これを使って、彼女の傍にい続ける。
 笑うことも、怒ることも、悲しむことすらできるこの体を抱えて。

 そこには、断罪も、許しも、何もない。







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/ヨシュアは書きやすすぎて困るという話。いえ奴の苦悩を想像するともう妄想がムクムクと(…)
エステルは彼の罪を知らないから、きっと彼を許してはくれない。ただお日様のように照らしているだけ。それは彼の望んだことであって、それでいてとても残酷なこと。