-Bitter Orange,in the Blaze-
下・強いひかりの中に 九.戦慄の走る時

110.海戦



「見えてきました。レムゾンジーナです」
 船員は歯切れよく言って艦長に双眼鏡を手渡した。
 壮年の艦長はいかつい顔に緊張を交えながら、双眼鏡を覗き込む。
 その中には思っていたよりもずっと大きな町が、じっと佇んでいる姿があった。
「周囲に異常はありません」
「現在、進行にも各艦異常なし」
「まもなく突撃時刻に入ります」
 あちこちから声が飛び交う。
 艦長は固く口元を引き縛った。こちらの船は5隻、平民を潰すのには多すぎる程の出陣だ。
 なのに向こうは…、話によれば船は1隻しかないという。
 まさかそんな条件でやられるはずもなかったが、被害は最小限に、功績は最大限に、と命令されている。
 元々、船は損傷すると修理代が高くつくのだ。こんなところでやたらに金を使うわけにはいかない。
 敵を撃墜するのは楽な仕事だろう。しかし、ほぼ無傷に近い状態で帰還したいのだ。緊張に目を細める。
「…やけに静かだな」
 窓際でぼそりと呟くと、横にいた青年が口元に笑みさえ浮かべて見返してきた。
「怖気づいて逃げでもしたんじゃないですか? 所詮そこらのボロ船、このリーズノード号にかなうはずがないと悟ったんでしょう」
「ふむ…」
 双眼鏡からみえる景色には、まるで船の姿がない。本当に逃げでもしたのだろうか。
 艦長は双眼鏡を下ろすと、パイプを口にくわえた。
 レムゾンジーナには、あの孤高の銀髪鬼の弟が潜んでいると聞く。戦力差は歴然としているとはいえ、一筋縄ではいかないと思っていたのだが……。
 ポケットから銀の懐中時計を取り出して、目を落とした。
 午前6時0分。―――町に潜む者の投降はなく、沈黙を守っている。勧告に従わなかった者には、貴族の絶対的な力を見せなくてはならない。これ以上、馬鹿な真似をしないように…。
 攻撃開始の、時間だ。
「全艦、これよりレムゾンジーナに入港する。砲撃準備はいいな?」
 この時代、かなり高価な通信機器を使って、他の船に合図を送る。
 返る答えは、十分満足のいくものだった。トラブルもなく、体勢は万全だ。
 艦長は声を張り上げて、指令を下した。
「予定通り作戦を施行する。全艦、出撃!!」
 直後には、最新鋭のエンジンが唸り声をあげる。まるで戦いの合図を示す野獣の雄たけびのようだ。
 ウッドカーツ家の機工師たちが総力をあげて作り出した船隊。その砲撃の数も、大きさも、この世界で最大級のものだ。
 ここのところ大掛かりな戦がなかったから、今回が初めての陣である。
 しかしこれは良い訓練になるだろう。これから自分たちは貴族同士の戦争にて、この船で戦わなければならないのだから……。
「いや、…あるいは攻撃する必要もないかもな」
 パイプをふかしながら、急速発進し目的地へと向かわんとする船の中で彼はごちた。
 目の前に障害物らしき影は見当たらない。
 もう少し骨のある戦を期待していたのだが…それも無理のようだった。
「本艦、予定よりも30分ほど早く入港します。はは、やっぱり奴ら、逃げやがったんだ」
「平民ぶぜいで貴族に逆らおうなんてバカなこと考えるからこういうことになるのさ」
 既に自らの勝利を確信しているのか、浮かれた船員たちが口々に言う。
 ここから入港し、船の中の兵士たちを陸にあげてしまえば…、町は四方から攻め入ることが出来、目的を殲滅することは確実となるだろう。貴族たちにその辺りの容赦は、ない。
 しかしなんだろうか。この静けさは。
 海というものはこんなにも穏やかなものだったろうか。
 そうだ。
 本当に、ここには――なにも、ないのだろうか?
 そうしてその直後、ふいに艦長の脳裏に過ぎった嫌な予感は的中することとなった。
 船員たちの顔が、一斉に蒼白になる。
 海が、静かだ。
 …静か過ぎる。

 ―――そんな中、突然心臓が飛び出すほどの爆発音が響き渡った。

 海を裂き、空を突き抜ける強烈な光の柱。
 あたかも、それは愚かな人間どもに天の裁きが落ちたかのようにも思えた。
 艦長のくわえていたパイプが…落ちる。
 しかしそんなことも気にせずに艦長は弾かれたように立ち上がって、前方の窓を食い入るようにして見つめていた。
「な、なんだっ!?」
 …しかし、その言葉に続きはなかった。
 離れたところにいた船が、炎と共に黒い煙をあげながら崩れていく様子を目の当たりにしたからだ……。
「第三艦、通信が途絶えましたっ!」
「これは一体……っ!?」
 ヒステリックに艦長は叫んで、周囲を見渡した。しかし、あれほどの艦を一瞬でこのような状態にできるような砲撃台も、船も、どこにも見当たらない。
 突然の出来事に船員たちもパニックに陥っていた。
 しかし、その動きすら凍りつかせたのは…、次の瞬間に今度は左の方の船から勢いよく炎が噴出したからだ。
 ―――それは、天の雷ではなかった。
 むしろ逆だ、まるで……海の中に呑んでしまおうとするかのように、海中から青い閃光が船を突き上げたのだ。
 みるみるうちに船が船としての機能を失い、海の藻屑として散っていく……。
 まるで白昼夢のような光景を食い入るように見つめるしかない艦長は、体中が恐怖に震えるのを感じていた。
「……海の中からの攻撃、だと…!?」
 そんなことできるはずが、と笑い飛ばそうとして、そうすることもできない自分に気付いた。
 これはまぎれもない現実だ、5隻あった戦艦の内、既に2隻が沈んだのだ。…しかも、一瞬で。
「第四艦、通信が途絶えていますっ! エンジンも完全に停止しました…」
 呆然としたまま船員が、誰にでも一目瞭然の結果を呟く…。
「――――くそっ!」
 予想を軽く凌駕した出来事に心底戦慄を覚えながらも、艦長は荒々しく机を叩いた。
 こんなことがあっていいはずはない。自分たちは最強の船に乗っているはずなのだ、負けていいはずが、ない……。
「敵は海中に潜んでいる。水中砲撃を使え! 必ず仕留めろ、そこらの海賊などに負けてはウッドカーツ家の名折れ!!」
 その一言に一喝されたのか、次々と船員の凍っていた体が動き始める。そうだ、急いで行動を起こさなくてはこちらの船も危険なのだ。
 驚きと恐れが怒りに変わったとき、彼らは最高の手早さで行動に移る。
「エンジン全開! 水中の目標を捕捉する!」
 次々と指令の声が飛ぶ。現状と目標についての情報が次々と飛び交う。
 そうだ、この船は持てる全科学を打ち込んだ、最高峰の戦艦なのだ。こんなところで負けるわけにはいかない…!
 艦長は机に手をつきながら窓の外を睨み、……それでも心が震え上がっていることを感じながら、呟いていた。
「…それにしても奴らはどうやって海中から攻撃しているんだ…!?」


 ***


「右35度に旋回! 全速力で座標N-21へ!」
「イェッサー!!」
 返事が、――普段よりも一際強い緊張が混じった返事が、耳が痛くなるほどに響き渡る。
「座標N-21、発進する!! 船から振り落とされないでくださいよっ!」
 クレーブは全内放送のマイクに向けてわめくように声を張り上げると、全体重をかけて舵輪をまわした。
 既に彼の額には汗がいくつも浮かんでいる。
 ―――海中に沈んだリベーブル号はエンジンの唸り声をあげて急発進をはじめた。
 船員は各々の作業に東奔西走しており、あちこちでばたばたと足音が聞こえる。
 …その甲板でひとり、テスタだけが海面を見上げるようにしてじっと佇んでいた。
 しかしその華奢な指は渾身の力を込めて胸元のサファイアを握り締めている。
 朝日に輝く水面に見える影の動きを食い入るように見つめる横顔には、いつにない真摯さが浮かんでいた。
「……―――」
 まるで呼吸すら止まったかのように、テスタは微動だにしなかった。しかし、直後にはいつもの彼とはうってかわった大声がその喉から放たれる。
 それは、その灰色の瞳が澄んだブルーの中に黒いものを捉えた次の瞬間のことだった。
「来るよ!! みんな、掴まって!!」
 それを言い終わったときには視界の中央に砲弾の姿を捕捉している。
 ぱぁっと煌きを散らせて彼の手の中の玉石が輝いた。
 そのまま手をかざすと、淡い水色の輝きが一点に集まり、放出される。
 ぐんっと重たいものを持ち上げるようにテスタはその力の塊を押し出した。
 体中に押しつぶされるような負担がかかるが、歯を食いしばって耐える。
 船全体をテスタの放った光が傘のように広がって守るのと、砲弾がこちらに届くのはコンマ5秒も差がなかった。

 ―――ずぅんっっ!!

 リベーブル号の船体が震えるようにして軋み声をあげる。
 思わず崩れ落ちそうになる膝を奮い立たせて、テスタは手にのしかかる力を受け止めた。
「―――っ!」
 無尽蔵の力を放出し続ける玉石が、更なる煌きを放つ。
 それはテスタの肉体を伝って、閃光となった。船を覆う薄い膜と砲弾が触れた刹那、誰もが目を瞑ってしまうような光があふれ出し、海の中に激発する。
 一発、二発。それと共に船体が激しく揺れるが、…幸い損傷はないようだった。
 続いて三激目、幾本にも分かたれた光が操られたかのようなしなやかさでそれを包み込んだ。
 一瞬でも油断すれば投げ出されてしまいそうな甲板の上、テスタはひとり細い足で立ったまま、更に力の放出を続ける。
 ほんの少しの乱れでもみせれば後方に向けて吹っ飛んでしまいそうだ。しかしここにいる自分が消えてしまい、船を守るものがなくなってしまえば、次にあるのは船の崩壊、そして絶対の死……。
 思わず噛んだ唇に血が滲む。しかし、それでも詠唱を呟く為に唇を動かせて…。
「母なる海よ、我が魂を浄化し我が身を造る大海よ、汝に仇名す者に制裁の天罰とその懐に抱く慈悲を―――精霊の御名において」
 うちこまれたエネルギーをそのまま弾き返す要領で、彼は光の波をしならせた。
 どぅん、という唸り声と共に膨大な量のエネルギーがはじき出されて、散る。
 そのままテスタの一押しに従って、砲弾は煌きを海底にまき散らせながら、逆方向に進みだした。
 そうなれば、あとは速かった。
 海流を引き裂かれる海の雄たけびと共に、海色の光をまとった塊が海面向けて飛んでゆく。
 それは光の尾をひいて、ついにその先へと―――。
 ―――しかし、狙いは少々外れたようだった。浮かぶ船のひとつの中心目掛けて放ったはずだったが、それはかすめることしか出来なかったのだ。
 やはり最初から自らの力で狙いをつけるならともかく、向かってきた砲弾を弾き返すのは無理だったか―――。
 敵の強靭な船体はそれだけではまるでびくともしない。
 すぐに次の攻撃を、と手をかざそうとして……、そこでテスタ自身の体が限界を訴えはじめた。
 動くことを許されず、顔をしかめる。視界が歪むほどの強烈な眩暈に襲われて、数歩ふらついた。
 玉石との契約によって使われる魔法はその威力も体にかかる負担も、普通のものとは桁違いだ。
 吐き気を覚えて軽く咳き込む。喉が切れて血の味が滲んだ。そんな彼の姿を見止めたひとりが思わず駆け寄ろうと声をあげた。
「親方っ!」
 …しかし返るのは拒絶の声だ。
「ぼくは大丈夫っ! N-25に移動、海流に流されないように気をつけて!」
 既に顔色は蒼白だというのに、テスタはふんわりと笑ってみせた。唇に滲んだ血を袖でぬぐって、今にも折れそうな二本の足で甲板を踏みしめて…。
『―――主人よ』
 ふと、手にした玉石が心に語りかけてきた。胸の中に風がざわめくような感触が走る。
 それは空気を震わせぬ、思惟の声だった。
『今はまだ力を温存するがいいだろう。でないと、次は汝の精神が持たぬ』
「……うん」
 体中が火になったかのような精神の高ぶりを感じながら、テスタは頷いた。
 次の砲弾が海中に向けて発射されるが、クレーブの舵取りでなんなくかわされる。
「…あとどれくらい攻撃がくるかな」
『――…一度は必ず退くはずだ。これだけ被害を負って退かぬなら、あまりに無能な指揮官とみえる』
「…そうして次にはもっと強い船を、…うまい対策を考えてくるんだね」
『――然り』
 テスタは額に浮かんだ汗を拭って呼吸を整えた。体が重く、感覚が鈍い。
 しかし苦しいのは彼だけではないのだ。
 テスタの力で今、この船を海中に沈めていられるが、彼自身は攻撃と防御で背一杯で他のこと――船を動かし安全な位置へと移動させる仕事は全て仲間に任せているのだ。
 海中にいるからといって安全なわけではない。
 もしも誤って海中の岩などに船体が接触したりしたら、一巻の終わりだ。
 船員たちは常に辺りを探り、緊張を張り巡らせなければならない…、その心労は彼らにどれだけの負担をかけることになるだろうか。
 テスタはいつでも力が発動できるように宝石を握り締めたまま、海面を仰いだ。
 暫くの沈黙の後、幾度か砲撃があったが、船員たちの手際のよさで船はことごとくそれを避ける。
 あとはテスタが少々力を落とした閃光で突き上げると、…ようやく諦めたようで、彼らはゆっくりと引き上げていった。
 しかし次にいつ攻撃がくるかもわからない。気は…抜けないのだ。
 海は相変わらず青く、どこにも変わりはない。今は水中の砲撃などで少々色が濁ってはいるが…。
 それでも、美しさは変わりなくそこにある。
 海面に湛えられた、たゆたう光。どんなに厳しい戦いがあろうとも、それはずっとずっと、そこにあるもので…。
 そんな青の情景に少し目を細め、テスタは手の中の石を握りなおした。
 …戦いは、まだ始まったばかりなのだ。


 ***


「艦隊、一時退却しました! 五隻のうち二隻が沈没、他にも激しい損傷がみられます。このままの交戦はあまりにも危険と判断し、撤退との報告です」
「―――なんだと?」
 ハルムの瞳に一気に険しいものが駆け抜けた。
 そこに浮かぶのは驚愕だ。今日に呼んだ艦隊はよりすぐりの精鋭たちだった。なのにそんなことがありえるのだろうか―――。
「いかが致しましょう…?」
 まさか海戦でこのような結果が待っていると思っていなかったのは従者も同じことだったらしい。その声には目に見えて焦りがこもっている。
「…思ったよりも戦えるということか……」
 ハルムは口元を手で覆うようにしてうめいた。
 あれだけの艦隊を彼らはどのようにして葬ったのか。…後で報告書を詳しく検証する必要がありそうだった。
「…こんなところで時間をくっている暇はない。短期戦でなんとかして終わらせるんだ」
 少々早口に呟いて、テントの外の景色を睨む。
 昨日放ったスパイも戻ってきてはいない。恐らくはしくじってしまったのだろう。
「作戦内容を一部変更、30分後に突入を開始する。波状攻撃を仕掛けろ、奴らに考える暇を与えるな。魔法部隊を前面へ出し、一気に殲滅にかかれ」
「……―――はっ」
 従者が胸に手をあてて頭をさげる。
 恐らく今の返事までに間があいたのは、進言をするか迷ったためのものだろう。
 そうだ、今ハルムたちがもっている力を使えば彼らの殲滅はたやすいことだ。…いや、この町はおろか―――。
『使わせてはならない。あれはあまりにも危険すぎる、……この世界が滅ぶかもしれないのだ』
 自分自身に言い聞かせるように、心の中で囁いた。
 そのままぐっと歯を噛み締めて、再び外を睨む。
 一度炎に包まれ消え去ったはずの町は、……まるで亡霊のように静寂に満ちたまま、こちらにその姿をさらしていた。


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