-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 四.あたたかな雨
048.ひとつのはじまり
エスペシア家と聞いて知らぬものはいないほど、その家の権力は大きかった。
ウッドカーツ家との親交は数百年前からあり、今も北の地方のほぼ全てを取り仕切っている。
同じく南の地方に強い力を持つサドロワ家と共に、ウッドカーツ家の右手、左手と呼ばれるほどの貴族だ。
もちろん、それだけの家ともなると中での権力争いは想像を絶するものになる。
暗殺や策略、裏切りに陰謀…。
そしてそれが一家の中心部に近付けば近付くほど、それらは激しく身近に起こることになる。
病死にみせかけて殺めることなど、この貴族の中では日常茶飯事だ。
セルピの母親も階級の高い貴族であったが、教養がなかった。
何故その縁談が持ち掛けられたかというと…、ウッドカーツ家がそれを強く進めたのだ。
例え強い同盟を結んでいたとしても、ウッドカーツ家にとってエスペシア家が賢くなりすぎることに喜ぶはずがない。
そのためには、多少劣等な者を家に入れる必要があったのだ。
そしてエスペシア家は、その母親を殺めた。
もちろんウッドカーツ家に証拠を掴まれたら厄介ごとになるのはまぬがれないだろう。
だから細心の注意を払って。長い年月をかけて…。
そして、その間に生まれて『しまった』のが、フィープ・セル・エスペシア。
「最初ね、ボクはお母様…が、ボクを生んだあとすぐに病死したって聞いてた。…でも、地下図書館の奥に隠してあった書物には、…全て書いてあったんだ。それ…見つけちゃって…」
世の中で一番残酷な部分を、小さな子は確実に物語っていた。
それも、僅かに微笑みながら。しかしそれは決して良い意味での笑みではない…。
北の空気のように透明な声だ。そしてそんな声で語られるものは、ひたすらに重い―――。
「ボクって一体何なのかなあ、って思ったよ」
途中のどんなに辛いことでも彼女は声を荒げない。
物語を聞かせるように、ゆったりと言葉を並べていく。
それも一つ一つが苦しい言葉を……。
「それで、ボク……自分のことをよく考えてたら、……本当にボクはこんな場所でなにやってるんだろうな、って思って」
二つのランプしか照明のない辺りはけぶりぼやけ、声という音だけが妙に響く。
「ボクに出来ることを探したくて、…家出、したんだ…」
―――家出という事態にまで少女を突き動かすほど、それは彼女を愕然とさせることだったのだろう。
当たり前のように生まれて、貴族の中の貴族として生きてきて。
そして、ふとしたことで自分という無知で醜い哀れな存在に気付く―――。
「そこで初めて、本当の世界を見て…、苦しんでる人を沢山見て、―――自分が嫌いになりそうだったよ」
貴族界という残酷な世界。
暗殺の危機はいつでもあった。どんな時でも気が抜けない。
しかし―――。
この世のシステムに振り回されて、仕方なく自らの手を血に染めて。
それは貴族も、平民も…。
苦しいのはどちらも同じ。
同じ、だったのだ―――。
「やっぱり世の中のシステムは変えられないのかな? ボク一人が動いただけでも苦しむ人が増えるだけなのかな?」
…なのに彼女は涙も流さない。
静かな笑みを湛えた顔で、言葉を紡ぐ。
「…でも…それでも、ボクは…」
少しだけ、声を歪ませて―――。
「…現実を、変えたかったよ……」
話の間に立ち上がっていたピュラは、何も言わずにセルピを見つめる。
髪をおろした、いつもの何倍も大人びて見える彼女を、だ…。
「イシュト…あの、男の人はね、ボクの教育係だった。いつも優しくて、心配してくれて…」
あの少し煌く銀髪の青年。
いつだって彼女を見ていた、人…。
そう、いつだって、いつだって―――。
「でも、全部捨てて逃げちゃった。……あは、だめだね…ボクって…」
苦しさに顔が少し歪む。
暗い足元に目をやって、また笑う…。
「その時は気が動転してて本当に急がなきゃって思って…、なにも言わずにでてきちゃったんだ。封印魔法で皆の動きを封じて……。でも、それだけは後悔したんだ。だって、理由の一つもいわなかったから…」
「…だから、エスペシア家の来るこの町に来たのね?」
セルピは頷いて見せた。
「最初は、ボクはもう使い物にならないから追いかけられて殺されると思ってた。でも…よくよく考えたら、もしボクが死んだら跡継ぎがなくなる。そうしたらまた新たに嫁いでくる人を迎えなきゃならない。でもそれにはウッドカーツ家の介入が入るだろから…、また同じことの繰り返しになっちゃう。そんな面倒をお父様がするはずがないんだ」
…初めてフローリエム大陸で出会った彼女。
北から来たとだけ言って、そして南に向かうと行った少女。
「だからお父様はボクを殺せない…。それだから、ちゃんと理由を言おうと思って、……来たんだ…」
そうだ。
北の果てからたった一人で歩いてこれたのは、この強さがあったからこそなのだ…。
普通なら逃げてしまうはずのことを、辛いことを、―――逃げずに立ち向かって――。
「…ごめんね……」
彼女は、ピュラの顔を見上げた。
橙色の瞳を見上げて、もう一度言う。
「…ごめん……」
「…あなた、これからどうするの?」
するとセルピは首を振ってみせた。
「…戻る気はないんだ。…ううん、もう戻れない…。でも、…そうしたら…聞いたよね? ピュラたちが利用されるかもしれないって…」
…その瞳の奥深さに、ピュラはセルピの次の言葉を予知していた。
心臓が、どくん、と波打つ。
しかし遮ろうとする前に、彼女は優しく笑って言っていた。
「…だから、ここでお別れだよ」
一歩、二歩と後ろにさがる。
「きっとお父様はどんな手を使ってでもボクを取り戻そうとするよ。そういうことの貴族の残酷さは、知ってるから……」
あの明るく飛び跳ねていた少女はどこにいったのかと訪ねたくなるような静かな物腰で、声が放たれた。
小さな雪の精が言う言葉は、どんな者の介入すら許さないようにも思える―――。
「…それに―――ボク、もうセルピではいられないだろうから……」
一番残酷な、真実。
「ボクはもう、フィープでいなきゃいけないんだ」
夢に必ず終わりがあるように。
いつかは目覚めてしまうように。
そして、そこにある現実に向かっていかなければならないのだから―――。
フィープとしての姿を知られた彼女にとって、既にピュラたちの前でセルピになることは苦痛なのだろうか…。
全てを知られてしまったからこそ、もう後戻りはできない…。
もう、セルピにはなれない―――。
……沈黙が、落ちた。
セルピは、ピュラたちの言葉を待っているようで、苦しそうにピュラの瞳を見つめている。
…ピュラはその水色の瞳にゆっくりと目を細めた。
ランプに僅かに照らされた橙色の瞳はその深みを増し、…なのに彼女の内心は全く読み取れない。
ピュラは神妙な顔もせずに、表情のない顔でセルピを見つめていた。
…数十秒、たったろうか。
すう、とピュラの腕が伸びた。
何故か親指と中指をくっつけて、その手をゆっくりとセルピの額に持っていく。
まるでなにかの儀式のように、夜の静寂の中で音もなしにそれは行われていた。
「………?」
その意味がわからないセルピは、ぽうっと近付いてくる手を見つめる。
ピュラは表情を浮かべぬまま腕だけを動かし、そしてその指が額とつくかつかないかのところまできた時、手は止まった。
「――――」
彼女の目がほんの少しだけ揺らめき、セルピは一瞬その瞳に呑まれる。
いつだって見開いていた、炎のような橙色の瞳だ。
赤でもなければ黄でもない。
強い、強い―――橙色。
まるでその中でいくつもの光が絶えずはじけているような…。
………そして暫くの静止の後。
―――突然、何の前触れもなく中指が弾かれた。
―――ぱちんっ!
「にゃっ!」
額に軽い電流が流れて、文字通りセルピは飛び上がる。
思わず弾かれた額に手をやるのを見て―――
―――ピュラは、にかりと笑った。
「うん、やっぱりあんたはそういう顔が一番似合うわね」
「…え……、」
「はい、今度言わせてもらうのはこっちの番よ。お・だ・ま・り」
びし、と人差し指を鼻の頭につきつけられて、セルピは目を白黒させる。
…ピュラの後ろでは、クリュウの目が点になっていた。
ピュラ本人は腰に手をやると、盛大に胸を張ってみせる。
そこにいるのは普段と同じ勝気で恐れを見せない彼女以外の誰でもなかった。
「それがどうしたっていうのよ」
レンズのようにセルピの大きな瞳が引き絞られる――。
「…え?」
「もうセルピではいられない? 私の目の前にいるのは正真正銘のセルピだわ。このチビ具合といい、髪の色と目の色といい、なにも相違ないわよ」
何故ここまで物怖じせずに断言できるのかというほどの強さを、体中が感じ取っていた。
いつもと何も変わらない態度、彼女という大きな存在感…。
突然の出来事に何も理解できなくなっているセルピに、ピュラは笑った。
まるで全てのことを理由もなしに受け入れられるような、大きな笑みを―――。
「セルピでいられないってことは、今までのセルピは作りものだったってこと? あなた曰く“本当のあなた”であるフィープとは完全なる別人なのかしら」
瞬間にぶわっと鮮烈なイメージが、駆け抜けた。
脳裏に思い出す、旅のひとつひとつの場面。
今では遠く思える、景色…。
ピュラの目を、見た。
どんなことにも屈せぬような鮮やかな橙色。
それでいて優しくやわらかな―――。
「人はね、そうそう変われるものじゃないわ。セルピもフィープも、同じあなたの一部よ。分けられるものじゃないの」
旅の情景はひとつひとつ、まるで宝石のように―――。
ピュラの声と言葉は力を持ってして、少女の耳というフィルターを軽々と越して心に直接語りかけてくる。
「…それとも本当にあなた、私たちの前で完全に演じてたの? あの笑顔は全て嘘?」
あの、笑顔―――。
明るい日差し。
夏の終わりから、秋にかけての出来事。
草原。森、海―――。
沈む夕日。夜に瞬く幾千の星…。
人の行き交う町。潮風の匂い、人々の流れ。
果てない地まで、どこまでも続く道―――。
―――わあ、そういえば妖精さんって見るの初めてー!
―――にゃ〜っ! ボクはねぇ…
―――うう〜〜ねむいよ〜〜…
演技じゃない。
どこにも、演じたところなんてなかった。
嘘なんてどこにもなかった。
本気で、笑っていた―――。
まるで、夢のようだと思っていた…
「あれは夢じゃないわ」
―――ぴん、と瞳が張った。
「それこそ変わることのない現実よ。違う?」
体が、炎のように熱い―――。
なにか…なにかが、体を満たす。絡まっていた糸がするするとほどけていくように――。
「あなた、…一人で生きてきたんでしょ。一人で何でもできるようにって、誰にも迷惑をかけちゃいけないって思ってたのよね」
ふいとピュラの眼が一瞬だけ遠いものを見る。
そこの先にある、彼女という意志、生き方。炎のように猛々しい橙の瞳…。
「確かにそうよ。この世界で生き抜くにはそうでなきゃいけないときもあるわ。…でも、ね」
ピュラはセルピの頭に手をおいた。
そうして、彼女の瞳を覗き込む。
「…あんた、まだこんなに小さいんじゃない」
撫でてくれる手が、暖かくて心地良い…。
そうだ。屋敷にいて、こんな風に撫でてもらうことは一度だってなかったから―――。
最初にしてもらったときは、すごく幸せに感じて…。
「だから、ね?」
いつだって変わらない声。
ピュラは、笑っていた。
強く、気高い微笑みを――。
こんな時代を生き延びてきたからこそ作れる、永遠にもたらされるような顔…。
「無理するなって言ってるのよ。辛いなら、正直に辛いっていいなさい?」
体の中で、やわらかな突風が吹いた気がした。
それも、上に向かって―――。
「だってあんたのその顔、とても余裕そうには見えないもの」
呆れたような声が、ただ優しく心に溶け込んでいく。
緩んだなにかから染み出して、涙が……零れ落ちそうになる。
何故だろうと今でも思う。先ほどまではどんなに辛くとも泣くことはなかったのに。
ほんの少しの言葉で気を許してしまう。涙が無意識に零れてしまう―――。
いつだって、強くあらなくてはいけないと思っていた。
でも本当は、ずっとずっと辛かった。
無理をして、信念を貫いた。
泣きたいのに、泣かなかった…。
辛いことが、辛いといえる。
いやなことが、いやだといえる。
そうだ、セルピはずっとそうしていた。
なんだって素直に受け止められたのだ。素直に笑って、泣けたのだ…。
生きている喜びだって、苦しみだって、
生まれて初めて体中で知ったのだ―――。
ほんのささいなことなのに。
広がる砂漠の中での一粒の砂のようなものなのに。
一体、それだけで何故こんなに心が幸せを感じるのだろうか―――。
「で……でも…、ピュラたちが……っ」
「あのね、私を誰だと思ってるの? これでも私は龍流拳術師範資格持ってる人に拳術を習ったのよ。あんたの家族なんて蹴りでもいれて追い返すわよ。ほら、スイなんて刺されても死なないんだから」
「死ぬぞ」
「発言を却下します」
「そんな無茶な…」
「クリュウなんてね、これまで私に何度投げられたと思ってるの? 打たれ強いんだから、全然問題ないわ」
「なんとでもいってよ…」
しかしピュラもクリュウも笑みを崩すことはしない。
セルピの顔がみるみる赤くなっていって、その目じりに涙が見えたとしても…。
ピュラは少し呆れたように首を傾げる。
「でもあんたね、14歳にしては泣きすぎよ。もっとしゃんとなさい?」
なのに声はやわらかで、優しくて―――、
溜め息をつきながらも、そっと腕を開いて迎えてくれる。
その中に、セルピはなだれ込むようにして飛び込んでいた。
「…ごめん……なさぁ……い…っ…」
全身で飛び込んだというのに、ピュラは揺らぐこともない…。
ピュラの服に顔を埋めて、その裾を握り締める。
「…ぅ……あぅ……っ」
嗚咽が漏れる。涙が驚くほどに次から次へと溢れてくる―――。
今までに溜め込んできたものが全て放出されて、自分の中身が空っぽになってしまうのではないかと思うほどに…。
「こわかった……こわかったよぉ……っ…ひっく…一人で…っ、……っ…く…」
「大丈夫よ」
何度もしゃくりあげるセルピを、ピュラは抱きしめていた。
肩を震わせて、その瞳を歪ませて、その滝のように流れる涙は止まらない。
「あんたにはここまで歩いてきた強さがあるわ。逃げないで、立ち向かった勇気がある。それだけで大したものなんだから…」
そんなセルピの頭を撫でながら、ピュラはまた笑う。
「でもね、ちゃんと素直に辛いことは辛いっていいなさいよね。…ほんっとに世話がやけるわ……」
「ひっく……ぅぅ…ごめん…ね…っ…」
「ごめんじゃすまないわ。こんな夜遅くまで付き合ってあげたんだから、代償は高いわよ?」
セルピは、ピュラを見上げる。
既にその顔はいっぱいの涙で濡れて―――。
ピュラは、にこりと満面の笑みをみせた。
いつもと同じ、強く優しい笑顔を―――。
「ナチャルアまできちんとついてくること。あんたから言い出したんだからね、わかった?」
その瞳からまた涙が溢れてくるのに時間はそうかからなかった。
幾度なく頷く彼女を抱きしめながら、…ピュラは、思う。
彼女はセルピを一度たりとも演じたことはなかった。
…むしろ―――。
ずっとずっと、彼女はフィープという貴族を演じていたのではないか、と……。
その小さな体で全てを受け入れて、素直な気持ちを全て心の奥に押し込めて、誰の力も借りずに一人で生きていたのだと…。
それはなにかのはじまりであった。
これから起こることへか、それとも幼い少女の新たな旅立ちでもあるのか、
…とにかくなにかが彼女にそう思わせる…。
そしてまた、確信する。
この世界は今、灰色に没している。
貴族政権に覆われた、よどんだ世界。
けぶる空気、すっかりかすんでしまった大気。
人に真実を追い求める余裕は残されておらず、そこにあるのは厳しい現実。
そんな中で生きていくには、強く、強くあるしかないのだ…。
そうでなければ、この世のシステムに呑まれて死んでいくのみ―――。
しかし、それでも幼子は生きてきたのだ。
その足で地を蹴って、全身で現実にぶつかる為に、ここまで来たのだ。
それは幼子が強いから。その胸に秘めた想いが、想像もできないくらいに大きく強いのだから―――。
だから、きっと彼女も生きていけるのだろう。
この黄昏を、ずっと走っていけるはず…。
受け止めた彼女の小さな体はまだ幼い。
どんなに世の暗を見てきた少女だったとしても、まだ彼女はそれ以上に幼いのだから…。
だから、少しだけ力を貸してやればいいのだ。
自分の師だった女性が、いつか幼かった自分にそうしてくれたように……。
そうすればきっと幼子は、不安もなく立ち向かえるようになるだろうから―――。
(…それにしても、また嵐がくるわね…)
一瞬、ふとこれからのことを考える。
口では軽くいったものの、貴族に目をつけられたのと同じことになったのだ。
彼らはセルピを連れ戻すためにありとあらゆる手段を使ってくることだろう。
(ギルドに賞金かけられたりして)
…思った瞬間、笑えなかった。
しかしそれを軽く受け流すのがピュラという人間だ。
(…ま、なるようになるわね)
すぐに口元に笑みが浮かんだ。
そうだ、彼女には現実に立ち向かう覚悟が出来ているのだから…。
「…そうだ、ねえセルピ」
「……っく……なに…?」
ふと訪ねたピュラは完膚なきまでの笑顔でのたまう。
「ひとつ、とっても困ったことがあるのよ」
「え…?」
「ううん、でもきっとあなたなら解決できるわよね」
「ぅ、ぅええ?」
思わせぶりな口調にセルピが首を傾げると、ピュラはいささか遠い目になって言った。
「…ここ、どこ?」
背後で、クリュウがこけた。
しかし確かに、今の一番重要な問題かもしれない。
セルピは目をぱちぱちとしばたかせて、ピュラを見つめ―――
「…えっ、ピュラたちも迷ってたの?」
ピュラも、こけた。
「絶望的だな」
スイが淡々と恐ろしい台詞を口走る。
「え…だって、ボク最初は屋敷の灯り目指して走っていけばよかったけど、帰りになって迷っちゃって……あ、きっとあっちじゃないかな?」
そういってとたとたと走っていって…。
―――ずべたっ!
…見事に壁に衝突していた。
「セルピ…離れるとはぐれるから近くにいなさい…」
先ほどの強気な態度とはうってかわった低い声がピュラの口から零れる。
「いたいよ〜」
「あーあー、ほんとにどうすんのよこれ」
「まだ夜は長いぞ」
「…みんなで凍死なんて僕はやだよ…」
「あら、妖精も凍死するの?」
「しないから一人で生き残るのが嫌なんだよ…」
「うう〜…ねむいよ〜……」
「あーーっ、寝ちゃダメよっ!」
――ぱちんっ!!
「いたい〜…でも眠いよ〜……うう、頭の中がぐにゃぐにゃ〜…」
「ていうか大体あんたが勝手に抜け出すからいけないのよっ! 責任とりなさいよねーっ!」
「無理があるな」
「き、きゃっ…! は、背後霊みたいに私の背後にいないでっ! ただでさえ暗いんだから!」
「くー」
「セルピーーっ!! なに寝てるのよーーーッ!」
「真夜中に近所迷惑だよ…」
「でもここらへんは石壁だらけで住居ないじゃない。さすがは遺跡の町ね。ここは古代の迷路とみたわ」
「町の中に迷路は作らないと思うが」
「うーるさいっ! それよりも宿屋に戻る方法考えなさいよねーっ!」
…そういえば。
―――ふと、セルピは思った。
「……この辺、雨は降るのかなぁ……」
「え? なにを突然……ま、まさかここで雨が降ってきたら最悪でしょ」
「大丈夫だよ、きっと雲はないし…」
「…そうだね……」
何千という星が瞬く空を仰いで、…拳を握る。
暗闇の中で小さく煌く星、星、星…。
まるで今にも途切れてしまいそうな灯火を紡ぐようにして、それらは夜空に広がっていた。
ここの空気は幾分冷たい…。
空の果てに思うのは、ここからずっとずっと北の情景。
イシュトのとけるような微笑みが、ふと頭を過ぎる。
また、さきほどに見た、悲愴な表情……。
そして、一体何処へいけば自分の求めるものがあるのかと、思う―――。
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