-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 四.あたたかな雨

040.ディスリエ大陸



 その隊列は一つの乱れもなく、進んでいた。
 馬に乗っていくもの、歩いていくもの、そしてその中心にある馬車。
 誰の目から見てもわかるほどにそれは豪華で、貴族…それも随分上流のものであることが見て取れた。
 その、馬車の中にて―――。
「ここから先は密林が多くなります。揺れます故にお気をつけ下さい」
 青年のしっかりした声に、その男は重々しく頷いた。
 青年はそっと目を伏せがちにして小窓から遠くを見つめる。
 長い長い行列は静かに進み、そして目的の場所を的確に目指していた。
 この地の夕日は煌々と地上を橙に染め、その消え入りそうな眩しさは馬車の中までささやかながらに届く。
 青年の反対側に座っていた男はそんな光を受けながらゆっくりと呟いた。
「…ところで、だ……」
「はい」
 青年はすぐに目線を男に戻して、歯切れ良く返事を返す。
 男は己の髭を撫でるようにしながら、また続けた。
「まだ…あれは見つからないのか?」
 …言葉の瞬間、青年の顔に影が射す―――。
 それは一瞬、時が止まったような時間。
 青年は少し俯いて言葉を紡ぐ。
「…はい、総出で捜索しているのですが……」
「全くあのあばずれは、今頃なにをしているのやら…」
 不満を隠すことなく顔にさらけだす男に、青年はゆっくりとかぶりを振った。
「…きっと、きっとフィープ様はご無事でいらっしゃいます…」
「もちろんだ。生きていてもらわないと困る」
「…申し訳ございません、私が行き届かなかったばかりに」
「いや、君のせいではない。君は完璧にしてくれた。全てはあれの責任だ」
 男の強い瞳が、すいと細くなってその深みを増す。
 青年は、膝の上の手を握り締めて、静かに祈った。
 たったひとり、愛しいものの無事を――――。
 ただただ照るのは静かな夕日、耳に響く隊列のゆらめく音。


 また、陽が落ちた。


 Bitter Orange,in the Blaze.
 四.あたたかな雨


 ***


「朝よ、起きなさいっ!!」
 ―――ピュラは問答無用で間髪入れずにシーツを剥ぎ取った。
 一気に保温具がなくなって寒気が押し寄せたセルピが、…目だけは完全に閉じたまま枕を抱きしめる。
「うう〜〜さむい〜〜…しんじゃうよ〜〜」
「とっとと起きて顔洗って着替えなさいよ」
「ねむいよ〜〜…」
「ならそのまま安らかに眠りなさい。海に投げ捨てといてあげるからね」
「いや〜〜」
 ピュラは呆れたように溜め息をついた。
「全く、どうして手のかかるのがこんなにいるのかしら…」
 とりあえずはセルピを見捨てて、部屋をでる。
 目の前の窓から見えるのは水平線。そう、ここは船の中。
 そして、その廊下は今までの生活では考えられないほどの豪華さ。

 ―――そう、ここは船の中、一等客の階。

 前に船に乗ったときの船長の謝礼だった。一等客室の無料チケットで、ピュラたちはディスリエ大陸までの船旅で豪華さを満喫している。
 …筈、だった。
 どんどんどんっ!!
 ピュラは隣の部屋の扉を少々ばかり荒めにノックする。
 …すぐに扉は開かれて、中からは小さな妖精が顔をだした。
 しかし、その妖精の表情はとても冴えているとはいえなかった。
「どんな感じよ」
「まだ治らないみたい…」
 ピュラは面倒くさそうに首筋をかき、中に入る。
 中ではスイが、焦点の合わない目をうっすらとあけたまま、ベットに倒れていた。

 ―――数日前、港町ネストにて。
 一晩酒を飲み続けた一同だったが、後遺症のないピュラたちに比べてスイは完全なる二日酔いにかかっていたのである。
 ピュラが、もう一晩だけ町で休んでいくかと提案したが、本人が大丈夫だというので、そのまま船に乗った。
 …そうしたら、彼は船にまで酔ったようで、撃沈していた。

 一等客室で、二日酔いと船酔いのダブルパンチをくらって病み伏せる男。
 ピュラは内心で、ひそかに大爆笑していた。

「スーイー?」
 ピュラは彼の目の上で手をはらはらと振ってみるが、…反応もない。
「…これ、本当に死んでるんじゃないの?」
「縁起でもないこといわないでよ…」
 クリュウが額に手をやりながら溜め息をつく。
「やれやれ、情けないわね…。ほらスイ、大丈夫なの?」
 そういいながらスイの頬をぺちぺちと叩くと、けだるげな声が薄い唇から漏れた。
「…大丈夫じゃない……」
「そう、大変ね。でも二日酔いで死んだ話って聞いたことないから、このまま死んだら後世に名が残せるわよ。すごいじゃない」
「ピュラ、言ってることが鬼だよ…」
「あら、これでも心の奥底からねぎらってるつもりだけど」
 ピュラは満面の笑みで首を傾げて近くの窓を開け放つ。
 吹き込むのは潮の香りをめいっぱいに吸い込んだ風。その清々しさに思わず目を細める。
「あーあ。ハルも置手紙一つで先にいっちゃうなんてね」
 窓辺に頬杖をついて、溜め息をひとつついた。
 今日の昼にはディスリエ大陸の港町、ビリアシェイドにつくだろう。
 そこからは密林に入り、山奥の秘境ナチャルアを目指すのだ。
 ナチャルアへの道は、古くの巡礼者などによって基本的なルートは決まっているのだが、その道は果てしなく険しい。
 危険な魔物も数多く住むと聞くし、なによりも村が少ない為に食料もきちんと管理していかなければならない。
「あー…もう……」
 …考えるだけで、頭痛がした。
 旅の目的を生きることのみとしてきたピュラにとって、こんな旅もしづらく町さえ少ない土地に来るのは初めてだった。
 そんな彼女はこれからの旅を憂うと、また特大の溜め息をつく。
「しかも連れがこんなのばかり……」
 …そう考えるだけで頬杖から頭が落ちて、窓辺に額をぶつけた。
「なんで先にいっちゃうのよハル〜〜…」
「な、なんかかなり失礼なこといってない?」
「昆虫類に気持ちを分かってもらう気はないから、励ましの言葉は遠慮させていただくわ」
 …クリュウは、全てを諦めた。
「…はあ……あ、あれ陸じゃないかしら? …スイ、そろそろ地獄から脱出できるわよ」
「ああ…」

 ―――今日も、空は雲一つなく青に広がっていた。


 ***


「今日はこの町で一泊しましょ。スイもこの調子だし、ナチャルアの現地情報も収集しないといけないしね」
 船から下りた後、ピュラはそう言いながら町の大通りに視線を向ける。
 都会とはいえなくとも、中々大きく活気のある町だ。流石はディスリエ大陸南部の中でも一番有名な町だけあった。
 スイはというと、ぐらつく頭を手で抑えながら一人で暗黒もかくやといわんばかりの雰囲気に沈んでいる。
「じゃ、僕とスイは先に宿屋に行ってるよ」
「ええ。頼んだわよ」
「スイ、大丈夫〜?」
「…ああ……」
「ま、スイなら殺されても死ななそうだから平気でしょ。ほらセルピ、行くわよ」
「うん。スイ、クリュウ、またあとでねっ」
 既に歩き出したピュラを追って、セルピは手を大きく振ってから走り出した。
 すぐにその横に付き添って少々早めの歩調にあわせる。
 ディスリエ大陸南部の最東端、港町ビリアシェイド。
 その町に流れるものは大陸によって違う匂い、そして風。
 人々は色彩豊かなのにどこか落ち着いた色の服をまとい、藁でできた籠や帽子を身につけ、樹海の樹はそのままあちらこちらに生えて青くのびやかに煌いていた。
 煉瓦などはどこにもない。どこから森でどこまでが町なのかもわからないくらいだ。
 その姿は、まるで樹海に浮かぶ島のようだった。
「まずどこにいくの?」
「そうね、酒場はこの時間あいてないから、ギルドにでも行ってみようと思うんだけど」
「地図とかなくて大丈夫?」
「いーの。適当に歩いておけば見つかるわ」
「あ、そっか。危ないもんね」
「…わかってるんじゃない…」
 ピュラは溜め息をついて豊かな緋色の髪に手をつっこんだ。
 この辺りは都会とも程遠く、それだけに貴族を狙う盗賊などはあまりいないのだが、その代わりにスリの被害が多発しているのだ。
 地図を持っていれば一発で旅人であることが分かり、全財産を持ち歩いていることも悟られてしまう。また、地図などに気をとられて有り金を全て持っていかれてはたまったものではなかった。
 その上、ここには自衛隊やギルドなども少ない。権力に守られることは望み薄なのである。
 そう、良くも悪くも、この地は人間のありのままが映し出された姿なのだ―――。
「それにしても、セルピ」
「うにゃ?」
 セルピは歩きながらピュラを見上げて、笑顔で首をかしげた。
 ピュラはその顔を暫しじっと見つめて―――、また顔を前に戻す。
「なんだ、元気になったじゃない」
「ふえ?」
「イザナンフィ大陸であなた、元気なかったでしょ」
「あ―――、」
 その時に言おうと思ったのは、言い訳かそれともまた違うものか―――、
 しかしその前に、ピュラの手が頭を撫でていた。
 やわらかな心地良い感触に、思わず言葉が全て中に飲み込まれてしまう。
 そういえば、こんな風に撫でられるのはピュラが始めてだった気が、する…。
「うん、あんたはこのくらい笑ってる方が似合ってていいわね」
 見上げた笑顔は、不思議に温かい。
「…えへ…そうかな?」
「それか私にいじめられて泣いてる顔とかね」
「にゃ〜〜〜っ」
「ほら、もう涙目」
「うにゅぅ〜〜…」
 最後にぽんぽん、と軽く頭の頂上を叩いてからピュラは手を離した。
「ほら、泣いてると置いてくわよ」
「待って〜〜!」
 少し遅くなっていた足をまたいつも通りに動かすと、おもしろいくらいにセルピは引き離されて慌てて走ってくる。
 ぱたぱたと走りながら、セルピはこのささやかな、生まれて初めての幸せに顔をほころばせていた。


 ***


「この樹林に挑むのかい。嬢ちゃんたち、大変だねえ」
 色の濃いこの町で唯一白い煉瓦に固められたギルドは、その存在を町に主張するかのごとく、すぐに目についた。
 中の主人は…きっと、随分前にここに派遣されてから住み着いているのだろう。この地域について色々と親切に教えてくれる。
「ま、理由は何にせよ頑張ってな。そうそう、この森には精霊が多いからな。うまくいけば色々と力になってくれるはずだ」
「せいれい?」
 ピュラはピアスを揺らして首を傾げる。
「…ってことはクリュウの親戚かしら」
「森にこの世界が出来たときからいるらしいんだ。大層な臆病で、森の奥にしかいないらしいけどな、危害を加えなければ好意をもって接してくれるらしい」
「へえ、精霊ねえ…」
「あと…、森を抜けた先のイシスファって町は最近、大物貴族が出入りしてるらしいから治安に気をつけた方がいいと思うよ」
「大物貴族?」
 声をあげたのはセルピの方だった。
「そうさ。聞いて驚くなかれ、あのエスペシア家だって話なんだ」
「エスペシア…」
 ピュラはいつかエスペシアの者がナチャルアの財宝に目をつけていると言っていたことを思い出した。
 主人は溜め息まじりに腕を組む。
「全く、お陰でサドロワ家までああだこうだ言い出してるみたいで、こっちの治安も悪くなる一方だよ。どうにかならないかね」
「はあ…前途多難ね」
「幸運を祈ってるよ」
「ありがとう。じゃ、セルピ、行きましょっか」
「う、うん」
 セルピは一人で唇を噛み締めながら、ピュラの後を追った。
 少し、口の中で血の味がした。
「…エスペシア家が、きてるんだ…」
「そんなに緊張しなくたっていいわよ。別にちょっかいだすわけでもないんだし」
「…うん、そうだよね」
「さて、済ませることは済ませたし、宿に行きましょ。明日から大変なんだから」
 そう言ってピュラは宿へと足を向ける。
 風が、森を揺らす分厚い風が、二人の少女の間を吹きぬけた。
「ピュラ」
「なーに?」
 拳を握った。力を込めた。…胸に、痛みが走った。
「あ、あの……、」
 何かが喉の奥からせりあがり、頭を埋め尽くす。
「あの…、」
「どうかしたの?」
「そ、その…わ…わわ、ボク……」
「なによ」
 ―――言わなくてはいけないのに。
 ――でないと、きっと後で後悔すると、分かっているのに。
 …なのに、
 ―――その先が、続かない……―――。
「ごっ……ごめん…なんでもないや…」
「どーしたのよ突然…」
 ピュラは溜め息まじりにセルピの方へと引き返してくる。
「…うん、ごめん……」
 …セルピには、その横にぴったり寄り添うことしか出来なかった。


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