-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 三.秋の風を聞きながら
030.白花祭・中
「……故郷のみんな、ごめん……僕…もう生きて帰れないかもしれないや…」
事実上、宿屋に軟禁されているクリュウは窓から空を見上げ、遠い故郷に想いを馳せていた。
―――単に、現実逃避しているだけともいえた。
横では女将が楽しそうにミシンで小さな服を作っている。
「う〜ん、このレースなんか可愛いと思わないかい? これは襟に使えそうだねぇ。ああ、スカートは何色がいいかい?」
「………」
クリュウには、女将の笑顔が地獄への水先案内人の顔に見えた。
彼にとって出来ることといえば、ただ今日という日が早く過ぎることを祈ることだけ。
空に広がるのは、むなしく快晴の青だった。
***
町の活気は、冷めることを知らないようだ。
あらゆるところでざわめきが止まず、それは流れとなって青空に波紋を投げかける。
…ピュラは溢れんばかりの笑顔で堂々と町を歩いていた。
もちろん、表通り。通りは若者でごった返し、賑わいを見せている。
――しかし、もう彼女に誰も声をかけることはなかった。
大きな挑戦的にも見える橙の瞳、豊かな赤毛、白い肌、ひらひらとなびく服、しなやかな肢体――……、その姿に振り向くものは数多いのだが。
彼女の一番印象付けられる豊かな緋色の髪には、既に白いバラがない。
一人であることを示す祭りの象徴が、ないのだ。
…そして極めつけに、彼女の横には紺碧がかった青の髪の男が歩いていた。
その右胸に飾られた、―――彼が着ている服にはあまり似合わなかったが―――、娘がつけていた白いバラ。
誰の目から見ても、その二人は正真正銘の恋人に見えたのだった。
――…そろそろ日も一番高いところにさしかかろうとしているだろうか。
…ピュラは軽い足取りで道を歩きながら、スイに笑いかけた。
「悪いわね、わざわざついてきてもらっちゃって」
…裏道にて、ピュラはスイに自分の白花を差し出したのだ。
彼女の頼みは、今日一日だけスイに彼氏でいてもらうこと。
そうすればうざったい男など寄り付かないと思ったのである。
そして、その効果は覿面だった。
ピュラの横にいるスイにあからさまにガンを飛ばす男もいたが……、一時間ほど町を歩いても、誰も声をかけるものはいない。
「…別に」
スイが人ごみを好かないことはピュラも知っていたが、この際、目を瞑ってもらうことにした。
あとは適当に町を歩いて、日が傾いた頃に宿に戻ればいい。
「適当にセルピを探さなきゃねー。あの子、変な男に引っかかってなければいいけど」
そう言ってふと本道から隠れた裏道に目を向けて、
「なあレンシア、いい加減に僕に振り向いてはくれないのかい?」
「わ、私には心に決めた人がいますっ! あなたに答えることは出来ません…」
「なんだよ、つれないな」
「きゃっ!」
「……」
「……」
「……」
「…どうする?」
「どうするもこうするも」
目の前で変な男に引っかかっている少女を見つけた二人は、暫くその様子を黙って見つめ―――、
「決定。あの男の方が悪者っぽいわね。きっとこれはか弱い乙女がガラの悪い男にからまれているというシチュエーションなんじゃないかしら?」
ピュラは超客観的判決を下した。
「ところでこんなに悠長に見ていていいのか?」
「いいわけないわよ。すぐに救出すべきね」
…にしてはのんきな二人である。
スイは軽く目配せをして呟いた。
「どうするんだ?」
「私にまかせてよ」
ピュラは不敵な笑みをスイに投げてみせてから、つかつかと二人に近寄って、レンシアと呼ばれた少女の肩にぽん、と手を置く。
「レンシア、こんな場所で何やってるのよ」
「は、はいっ!?」
突然の見知らぬ介入者にレンシアは肩を飛び上がらせて驚く。
淡い青の髪をさっぱりと切りそろえ、白百合を飾った…―――つまり、まだ一人身である少女だ。
まだ幼さを残した顔が町娘の素朴な色を湛えていて、美人というよりも可愛げがある出で立ちをしている。
「なんだお前は」
レンシアに迫っていた男は不機嫌そうにピュラに目を向けた。
こちらはとってつけたような茶髪の男。粗野な印象を受ける大柄な出で立ちだ。
ピュラはそんな男に怯んだ様子もみせず…むしろ胸を張って言っていた。
「レンシアの友達よ」
「はあ?」
「友達だって言ってるでしょっ! ね、レンシア?」
「はっ…、え、まあ…はあ……」
「レンシア、探したじゃないの。その分だとまだ彼にお花渡してないみたいじゃない? ほら、とっとと行かないと彼も他の子に取られちゃうわよ」
「あ、はい……」
目をぱちぱちとしばたかせながらレンシアは生返事を返す。いくら記憶を辿ってみても、目の前の赤毛の娘との面識がないからだ。
「おい待てよ、レンシアは俺の…」
―――男はそう言いかけて、…止まった。
「何か文句があるかしら?」
天使のような笑顔。
…が、目が笑っていなかった。
むしろ、瞳だけが妙に鋭く殺気立っているようにすら思える。
ぱきぱき、とそこらのチンピラなど目ではないような物騒な音で指を鳴らす様は、まさに鬼と表現しても間違いではないだろう。
後ろではレンシアまでもが、がたがたと肩を揺らせていた。
「……れ、レンシア、また今度な」
怖気づいた男は呆気なく逃げていった。
男が見えなくなると、代わりにスイが歩いてくる。
ピュラは軽く溜め息をついて腕を組んだ。
「ほら、大丈夫?」
「え、あの…どちらさま…ですか?」
「どちらさまでもないわよ。単にあなたがやばそうだったから助けたまで。いい? 今度ああいう男に会ったら蹴りでも入れてやんなさい。世の中は弱肉強食よ」
「は、はあ…」
突如出会った人に世の中についてまで語られてしまったレンシアは縮こまるばかりだ。
「それでよ。心に決めた人がいるって言ってたわよね? ならとっとと渡してきなさいよ」
「は、はい…私もそう思うんですが…、」
レンシアは髪を彩る白百合にそっと手を触れて、その瞳を揺らめかす。
「どうも自信がなくて……、」
「何言ってるのよ。あんたみたいな子を放っとく男なんてカスよカ・ス!! それにね! 蹴りでもいれて脅迫してやれば男なんていくらでもこっちのモノになるのよっ!」
「かなり無茶だな」
「うるさいわねっ!」
「……ですよね…」
「はっ?」
突如うつむいて肩を震わせたレンシアに、ピュラは怪訝そうな顔をする。
そんな彼女に、レンシアはぱっと顔をあげた。
「そうですよねっ! そうよ、私がいじいじしてちゃ何も始まらないんだわ、ああ、早く行かなきゃ……っ!」
不意打ちの反撃に暫しぽかんとするピュラの手をレンシアは強く握って満面の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます…! あなたに私は強さを貰いました。このご恩は一生たりとも、いえ、来世まで忘れませんっ!」
「……」
裏道だというのに、既にピュラの顔にはレンシアの放った光で影が出来ていた。
夢見る少女を通り過ごした感のある少女は目に涙すら浮かべて何度も礼を言い、……じっとピュラの顔を見つめて、神妙な顔つきになる。
「ど、どうしたの?」
「あの…あ、私はレンシアっていうんですけれど…、これも何かの縁です。あのもしよろしければ、一緒に彼のところまで行ってくれませんか? 一人だと怖くて……」
「…あんた何歳よ…」
「今年で16になりました!」
「あっそ…」
「お願いしますっ!」
「…別にいいけど…どうせ暇だし…」
赤毛に手をつっこんでピュラは閉口しそうになりながらも返事を返す。
「ありがとうございます〜!! あの、お名前は?」
「私はピュラよ。そっちのふてくされてる男がスイね」
「あれ、お二人…」
レンシアはピュラとスイの顔を見比べて、ぽん、と手を叩く。
「恋人同士だったんですねっ!」
――――ぴきっ。
…大地に裂け目が出来たかと思う程の音を放って、ピュラのこめかみがひきつった。
確かに演技としてスイとは今日一日を共に過ごさなければならない…が、まともに言われるとどうも複雑な心境になってくるのである。
「どうかしましたか?」
「いえ、別になんでもないわ」
半ばやけっぱちになってピュラは手を振る。
…が、レンシアの猛攻撃はまだ終わっていなかった。
「えっと、あの…」
「まだなにか?」
「ピュラさんは、スイさんになんていって告白したんですかっ!?」
――――びきびきびきっ。
…天に裂け目が出来たかと思う程の音を放って、ピュラのこめかみが更にひきつった。
「え、あの……、私、彼になんて告白すればいいのかわからなくて…、お二人のを参考にさせて頂きたくて」
もじもじと指同士をからませながら、爆発寸前のピュラを上目遣いで見つめる。
無知ほど怖いものは、この世にないだろう。
…ピュラはしばらく止まっていたが、…ふと顔をあげてくるりとスイの方に振り向いた。
ぱんっ、と両手を組んで頬のところまで持ってきて、瞳を潤ませながら首を僅かに傾げる。
「ああスイっ、私もうあなた以外は愛せないわ! この気持ちをどうか受け取って!」
「…気持ち悪いな、遠慮しておく」
―――どかどかどかっっ!!!
…スイの頭が壁にめりこんだ。
「ざっとこんなもんよ。分かった?」
「ほ、ほんとにそんな感じだったんですか?」
「きっとそうよ」
ぱんぱんと手を叩いてピュラは腰に手をやる。
「大体ねえ、告白なんてぱぱっと言っちゃえばいいじゃない」
「え…で、でも…毎年いつも失敗しちゃって…」
「失敗?」
ピュラが聞き返すとレンシアは頷いてずい、と顔を近づけた。
「はい、聞いてくださいっ! 私、三年前から毎年、白花祭で彼に想いを打ち明けようと思ったんですが…」
言いながら手を胸にあてて目じりに涙を溜め、…首を振って遠い目をする。
「三年前は雨が降っててムードがでてなくて諦めて…」
「ふーん…」
「二年前は、なんて告白しようか考えてたら徹夜しちゃって目が真っ赤でとても彼の前に行けなくて…」
「へえ…」
「去年は頑張って町に出たんですが、彼の方が熱をだしてお祭りに参加してなくって…」
「はあ…」
最後になると溜め息しかでなかった。
「だから今年こそ頑張らなきゃいけないんですっ!」
レンシアは拳を握り締めてめらめらと瞳を揺らす。
「ああ神様! 私レンシアは、今日、新たな道を歩き出しますっ! ピュラさんやスイさんのような素敵な先輩方とめぐり合わせて頂いたことを感謝します…! さあ、いざ彼の元へ…」
「とっとと行くわよ」
「わぁ〜〜、待って下さい〜〜」
冷めた瞳ですたすたと歩いていくピュラを追って、レンシアは走り出した。
そして、そんなピュラの横で肩を並べるスイの姿を見比べて、くすりと笑みを零す。
(…素敵なカップルよね。いいなあ…)
「…今、寒気がしなかった?」
「確かに」
「え、なにがですか?」
「はぁ…、それで、あなたの言う彼とやらは何処にいるの?」
「は、はいっ。きっと自宅にいると思います。案内するのでついてきて下さいね」
町は賑やかな音に包まれ、その中を縫うようにして三人は道を歩いていった。
…一方。
「お手!」
ぽん。
「わー、いいこだねーっ! よしよし」
…セルピは犬と遊んでいた。
…更に一方。
「ああ、もう日が随分昇っちまったねえ。もうすぐ出来るから、それまで我慢しといておくれよ」
…一生完成しなければいいのに。
……クリュウは、もうこの際、辱めを受ける前にを自害しちゃうのも一つの手かなあなんて思いながら虚ろな瞳で半分完成されたふりふりの小さなドレスを遠目に見ているのだった。
***
「へえ、大工の息子なの?」
「はい。名前はウィスト・クリストフル、身長178.5で体重は…きゃっ、恥ずかしくて言えませんっ。明るい茶色の髪に瞳はパステルグリーン、好きな食べ物はアップルパイとトマトスパゲッティ、誕生日は桃の月二日、飼ってる赤毛猫の名前はヒューラ、好きな花はアジサイ、最近読んでた本はパラキートの『水の合間に』、控えめだけど頭が良くてとっても頼りになる人ですっ!」
無論、レンシアは一息でここまで言ってのける。
…言い終わる頃にはピュラもスイも真っ白になっていた。
「…あんた、ストーカーとかしてないわよね?」
「もちろんですっ!」
にこにこと髪を揺らしながら言うレンシアにピュラは盛大な溜め息をつく。
「どっからそんなに情報仕入れてるのよ…」
「幼馴染だったんです。今はあんまり会うこともないんですけど…」
こんな歳になっちゃいましたからね、とレンシアは笑った。
するとピュラは口元に手をあててレンシアに耳打ちする。
「…ところで、恋敵はいるの?」
「こいがたき?」
「だーかーらー、他に彼のことが好きなライバルがいないかって聞いてるのよ」
「いますよ、たくさん」
………。
……。
…。
「…は?」
「彼、とってもモテますから」
それがなにかと言わんばかりにレンシアは首を傾げる。
ピュラとスイは顔を見合わせ……、溜め息をついた。
「…そりゃまた随分お高いのを狙ってるのね…」
こんなに燃えているのだ、きっと断られた時のことなど考えてもいないだろう。
「それにしても随分珍しいな、女から花を渡すっていうのは」
スイの呟きにピュラが顔をあげる。
「…そういえばそうね。普通はなにかと男からよねぇ…」
「あれ、お二人は知らないんですか?」
「私たちはこれでも旅人で、偶然今日この町に来たから参加してみただけなのよ」
「まあ、旅人さんだったんですね! どうりで見かけない人だと思ってました」
レンシアは頷いて空を見上げる。
「このお祭りは今年で67回目だっていうんですけどねー、始まった当時は…この町は港町ですし、男の人はみーんな出稼ぎで海を渡っていっちゃったそうなんです。得にこの町から船ですぐにいけるイザナンフィ大陸西部は開拓の為にたくさんの人を募集してたから、なおさら人が出て行っちゃうんですね。それで出稼ぎにいった男の人はみんな現地でお嫁さん見つけてそこに住んじゃうから、町の人口が随分減っちゃって」
そう言って自分の白百合に手を触れる。純白の花は太陽に照らされて光を零していた。
その笑みは優しく少し憂いを含んだ色をしている。…まるで彼女の微笑みのように。
「だから町の人が話し合って、男の人がでていかないように、町の中で恋人たちをいっぱい作ろうっていって出来たのがこの白花祭なんです」
「へえ、そんな裏話が…」
唇に指をあててピュラは頷く。白い花は、男たちが町を出て行かないようにという女の願いが込められた鎖のようなものなのだ。
「でも、とってもいい機会ですしね! 私はこのお祭りが大好きですっ!」
きらきらと笑って、レンシアは大きく一歩二歩と飛ぶように歩いた。
恐らく、今の彼女にとっては全てが輝いて見えるのだろう。
どこにでもいる町娘の、ささやかな一時の時代だ。
彼女は、横にいる旅人たちのように黄昏を歩いてはいない、…否、黄昏をみる必要などないのだろうから。
「その角を曲がったところが彼の家です」
普通に生まれ、普通に過ごし、普通に恋をする少女。
そんな普遍に満ち溢れた彼女の姿に、ピュラはふいと笑って頷いてみせた。
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