-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 二.荒野の果てに
018.予感
今から約300年前、――ミラース歴1089年、世界で最も巨大な戦争が勃発した。
後に紅の戦と呼ばれる、世界の全てに近い国たちが二手に分かれて戦った戦争だ。
一手は、貴族をまとめあげ、数多の国を味方につけた貴族のウッドカーツ家。
もう一手は、民衆に声をかけ、またいくつかの国や貴族を味方につけた連合軍。
争いは激化し、その戦の集結までは2年にも及んだという――。
そして、最後に両者が正面衝突した地が、このフローリエム大陸の南に広がる荒野、リ・ルー。
この地にてウッドカーツ家は平民の軍を破り、総大将であった女将軍プリエル・ボロウドゥールを捕らえた。
その後彼女はウッドカーツ家によって魔女の烙印を押され、町中を引き回された上に火刑とされた――。
そう、ウッドカーツ家が全世界を統一したのはこの瞬間である。
その合戦で、この荒野にて命を落とした者の数は数十万とも言われる。
そんな荒野に、町を作ろうなどと言い出すものは、誰一人としていなかった。
そうしてこの荒野は300年間以上、野放しにされてきた。
起伏のない広大な平野。そこは今は魔物の巣窟になっているとも言われ、旅人たちからも難所として有名とされている。
荒野、リ・ルー。
多くの命がそこに散った、小さな歴史の軌跡でもある――。
そしてその荒野の果てに夕日は落ち、天使の調べさえも天から響いてきそうな大空がすっぽりと辺りを覆い始めていた――。
Bitter Orange, in the Blaze.
二.荒野の果てに
***
「3週間」
食堂にて、ピュラは3本指を立てて宣言した。
「これ以上かかると、キツいわね」
とりあえず町でゆっくりと体を休めて迎えた……大荒野リ・ルーへと挑む前日のことである。
これから向かう大荒野リ・ルーには休める木陰も少ない。
その上、平らな土地では魔物から逃げる場所もない。
更に、途中で食料を調達できそうな場所も少ない、
――拍手を贈りたいくらいの難所であるのだった。
つまり、3週間程度で縦断しなければ、――命に関わる危機にさらされるかもしれない……。
今いる町、ペルダスはこのリ・ルーを渡る旅人たちの拠点となる町だ。
ここから最南端の町コラソンまでに一番近いこの町は、そのお陰で活気付いている。
町も広く、貴族の館もいくつか見受けられた。
「はぁ……まさかあんな場所を通ることになろうとはね」
溜め息をつきつつ、パンを口に放り込む。
「ねぇ、スイは前にも通ったことがあるんだよね? いつだったのー?」
セルピがスープのカップを両手で持ちながら聞くと、スイは少し視線を泳がせてからぼそりと呟いた。
「……二年前だったな、まだ一人旅だった頃だ」
「よく一人で歩く気になれたわねぇ……」
感心というよりは閉口といった感じでピュラが頬杖をつく。
彼女だったら、絶対に通らないだろう。遠回りをしても船で迂回していくと断言できる。
唯、今はその彼女の命がかかっていることと――、ネルナドの言葉を伝えに行かなければならないから、近道のリ・ルーを通るのだけれども。
「旅人さんたち、リ・ルーに挑戦するのかい?」
ふと顔をあげると、食堂の女将がにこにこと笑いかけながら料理を持ってくるところだった。
「ええ、そんなとこです」
「あら、こんな可愛いお嬢さんまで? とりあえずこの町でしっかり休んで体力つけていきなよ」
まるで母親のような口調で女将はごゆっくり、と言って去ろうとする。
……すると彼女はふと何かを思い出したように立ち止まって振り返った。
「そういえば、最近向こうからリ・ルーを渡ってくる人が異様に少なくなったのよね。もしかしたら強い魔物とかいるかもしれないから、用心するんだよ」
そう漏らして今度こそ去っていく。
「強い魔物……ねえ……」
ピュラはまた深い溜め息をついた。
「順風満帆とは言えなさそうね……。なんていうか、私が呪われてから運がなくなってる気がするんだけど」
「ふぇ? 呪いー?」
「あら、セルピには言ってなかったかしら?」
「うん」
そういえば、セルピには漠然とナチャルアに行くとしか言っていなかった。…が、共にナチャルアまで行くのなら、話しておいたほうがいいだろう。
ピュラは左腕の包帯をといて、いきさつを話した。
――魔物に呪いをかけられたこと。
――お陰でスイとクリュウと共に行かなければならなくなったこと。
――ナチャルアに行けば、何か情報が掴めるかもしれないということ。
「にゃー、ピュラも大変だったんだね」
「人生が大変なのは誰も一緒よ。はあー、本当にちゃんと向こうまでつけるのかしら。スイ、あなた経験者なんだからちゃんとしてよねっ!」
「……」
「スイ?」
「……」
――数秒後、居眠りをしているスイに気付いたピュラは、瞬時に右アッパーをくらわせた。
――スイは、更に深い眠りへと入らされてしまった。
「こほん、……とにかくよ。明日は一日休んで、明後日の朝出発よ。しっかり覚悟決めていかなきゃね」
***
荒野の果てに、夕日は落ちて――。
夜の闇が当たりを包み、月が寂しく大地を照らす。
月明かりは仄かなれど、その物体の影や形…、それだけは映し出すことが出来る。
何処までも地平線の広がるこの荒野で、その地平線の地点まで星は瞬く。
まるで、その地平線の場所までいけば星に手が届きそうだと思うくらいに――。
そして月や星々は、その荒野の中の、小さな小さなそれをも――静かに浮かび上がらせていた。
「た……たすけてくれ……っ!」
男は走っていた。
走って、逃げようとしていた。
しかし、そこは勝手の知らない場所――、逃げられない。追い詰められる。
「い、命だけは……っ!」
男自身も、何故こんな目にあうのかも分からなかった。
自分に非があるとは全く思わない。
非があるとしたら――、
そう、男は運が悪かった――、その者に取り付かれてしまった――。
そして、本当の非があるのは。
――――この世の、システムだ。
全ての、人間たち――その一人一人が生み出した、この世のシステム。
罪を背負うのは、全ての人々。
だから、この男も同じこと――。
『……なんで……どうして……?』
涙が混じったその声は、何重にも重ねて夜空に響く。
『どうして……どうしてっ!! 教えてよ!!』
「う……うあああああああああっっっっ!!」
―――どうっっ!!!
荒野の果てに、夕日は落ちて――。
突如、雷鳴がとどろいた。
雨が振り出す、振り出す――。
否、それは誰にも見えぬ、強い雨――。
何故なら夜空には満天の星が広がっているのだから……。
その雨は、その場所にしか降らない。
―――ざあああああ…………。
しかしその雨は殴るように打ち付ける。
まるでそこだけが滝になったかのように。
それに打たれながら、佇む影、ひとつ。
今にも消えてしまいそうなほどに弱々しい影……。
影は、泣いているようにも見えた。
『…どう…して…』
雨に打たれ、肩を震わせ、髪を振り乱して――。
そして、影はゆらりとゆらめき、哀しみを残して霧のように消えていく――。
大草原と言われるこの地も、乾季になれば荒野と化す。
また、時期が来れば荒野と化したこの地に、雨季を告げる雨が降る。
しかしたったそこだけ、雨は、雨季を告げる雨は降りつづける。
あの日からずっとずっと……、
そんな地で、この広大な荒野で、また命が一つ、消えてゆく――。
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