-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 一.フローリエムの旅

014.地下水路の秘密



「だから僕はやめようって言ったのに……」
「だってまさかあんなのがあるとは思わなかったんだもの……」
 ――あんなの。
 ――既に言葉にするのも嫌な光景だった。
 腐敗し、白骨化し、積み上げられた人間の成れの果てなど――。
「そもそも一体あれなんだったのかしら……」
「多分、貴族に処刑された者だと思う」
 ぴくり、とピュラが反応して振り向く。
 スイは目を細めて水路の水が流れていく様子を見ながら続けた。
「貴族に反抗すると教会で処刑される。だが、処刑されたあと、遺体がどうなるのかは民衆に伝わっていない……」
「つまり、……処刑された人は全員ここに捨てられた……ってことかしら?」
「そういうことだと、思う」
 スイは頷いて辺りを見回す。
「生きて帰れるかな……」
 クリュウも周りを見渡して溜め息をついた。
 全員無我夢中で走った故に、ここが何処なのかもさっぱり分からない。
「おそらく水路は迷路と同じように入り組んでるわよね。しかもここ暗くて方向感覚鈍るから、下手に動くと迷うだけよ」
 こめかみを指でもみながらピュラも溜め息をつく。
 ―――沈黙。
 こんな場所で死んだらきっとあの死体たちの仲間となって一生この世を彷徨うことになるだろう。……それだけは御免だ。
 しかし、抜け出せるルートはどうも思いつかない。
 ……暫くの沈黙の後――、不意にスイが顔をあげた。
「……そうだ」
「スイ、何かいい案思いついた?」
「地下水路は最後は海に繋がるから、水が流れる方に行けば」
「そっか! 海にでられるわね!」
「でもここからどのくらいかかるか……」
「ここで死ぬよりはマシよっ! よし、出発!」
「ええ、もう!?」
「うっさいわね、とっととこんな所抜け出して日光あびないとモヤシになるわよ」
「にょ〜〜、もやしになるの?」
「なったら私が炒めて食べてあげるわよ」
「いや〜〜」
「そうよね、食料つきたらまずはセルピでも」
「ボクはモヤシじゃないよ〜」
「分かった分かった、ほら行くわよ」
 ピュラにおだてられて、全員が立たされた。
「こんなところで死んでたまるかってのよ! 絶対に地上に出るからねっ!」
 びし、と水路の先を指差して猛然と歩いてゆく。
「ほら男二人遅い!! とっとと行くわよっ!」
 クリュウとスイは顔を見合わせ、……お互いに小さく溜め息をもらす。
 行き先は暗くぼんやりと、静かに4人を見守っていた――。


 ***


「――インゲンマメ」
「メザシ」
「シーラカンス……」
「ねえ……」
「ス……スルメイカ」
「からあげ」
「げ……うう〜……げ……?」
「ちょっと……」
「はいセルピ時間切れー」
「にゅ〜〜」
「ねえってばさっ!」
「なによ」
 やっとピュラはクリュウの方に振り向いた。
 クリュウは情けない顔で肩を落とす。
「なんでしりとりやってるの……しかもスイまで」
「うるさいわね。暇なときはしりとりに限るのよ」
「地下水路で迷いながらしりとりなんて聞いたことないよ……」
「私も聞いたこと無いわ。史上初ね。記念碑でも作る?」
「……」
 やはりいつものようにピュラの方が一枚上手だった。
 さらさらと流れてゆく水の方向へとひたすら歩く。
 ……この水が海に流れるのだとすると、一番近い海に通じると考えられた。
 地図で確認すると、その地点はここから2日歩いたところだ。
 地下水路の造りはどこもかしこも単純で、何処までも同じ石畳が続いているとそれが永遠に抜け出せないものにも思えてくるのだが。
 ――不意にクリュウが立ち止まった。
「――ストップ」
「え?」
 彼が妖精特有の長い耳をぴんと張っているのに、ピュラは怪訝な顔をする。
「どうかしたの?」
「――何か聞こえない?」
 石で出来た通路は声を幾重にも重ね、小さな音さえ何処までも響き渡ってゆく。
「――何かって……」
 そう言ってピュラは黙って耳に手をあてた。
 聞こえるのはさらさらと流れていく水の音、そして――?

 ―――……、

 ―――……、

「……確かに音が聞こえるな」
「何この音……」
 ピュラはきょろきょろと辺りを見回す。今にも水でかき消されてしまいそうな程に小さい声にも似た音だ。
「この先から――?」
 クリュウがつい、と少し前にでて先の黒に目を細める。
「……まあとりあえず行ってみましょ。どっちにしろこの先に進まなきゃいけないんだから」
「そうだな」
 スイは腰の剣を軽く鳴らして歩きながら音の様子を伺う。
「うう〜……お化けだったらどうしよう……」
「あんたを差し出して逃げるから安心なさい」
「いや〜、死にたくないよー」
「セルピは知らないみたいだから言っておくけど、私は何気に自己中よ。覚えておきなさい」
「胸張って宣言することじゃないよ……」
「人と人とのコミュニケーションはね、お互いを理解することが第一歩なのよ」
「コミュニケーション以前の問題だと思うが」
「発言却下」
「そうか」
「そうよ」
 ――つくづく、のん気な会話だと思った。
「ま、とにかく急ぎましょ。早く何なのか確かめなきゃ」
 そう言って黒の先を炎のような瞳で見据え、ピュラは足を速める。
 そしてそれが、――その音が、人の声だと言うことに気付くのは――もう少し後のことだった。


 ***


 その様子をみた瞬間、4人が4人、そろって目を丸くする。
「ひどい……! 傷だらけじゃない」
 ピュラが駆け出してその惨状を目の当たりにした。
 地下水路の一角には――一人の男が倒れていたのだ。
 青緑の髪に、同じ色を基調とした独特な装束という――どうにも一般庶民には見えない、まだ20歳程度の男だ。
 着ているものはもうボロボロで、体中血まみれになり、最後の一突きをくらったのか腹部からの出血が酷い。
 ――そして辺りに広がる血の量が、もう男が助からないという現実を突きつけていた。
 先ほどからの声は男のうめき声だったのだ。
 既に男の意識は薄れ、時折何かを訴えるような声が血まみれの唇から漏れる。
 ピュラは険しい顔のまま……膝をついて男を抱き起こす。
 口に耳を近付けて声を聞き取ろうとするが、――聞こえるのは気道が傷つき鳴るヒューヒューという音だけだった。
「……だめ、何を言いたいんだかわからないわ――。なんでこんな場所に?」
「ピュラ、助からないの?」
「ええ、この出血じゃもう……」
 セルピは涙目で顔をしかめ、哀しそうに男の手を握る。
 ふと、ついと飛んでクリュウが男の焦点の合わぬ瞳を覗き込んだ。
「――まだ魂は体内にある」
 ぽそりと呟いて、スイの方に振り向く。
「僕は還魂の魔法は使えないけど――、魂を召喚することなら出来る。そうすればこの人と会話が出来るけど――、」
「会話が出来るってことなの?」
「うん、少しの間だけだけど……。でも危険が多いんだ。高等魔法だから、失敗したら何が起きるか……」
 クリュウの瞳が僅かに揺れ、不意に一瞬焦点が消える。
 その瞳の奥底に浮かぶ過去の記憶――、彼は首を振ってそれを無理にかき消すが、…心が言うことをきかなかった。
 思わず声が僅かに震え、まるで子供のようにピュラたちを見上げている。
 だがピュラはじっくりともう一度男を頭から足まで見てから……クリュウとは正反対にしっかりとした面持ちで頷いた。
「出来るならやるべきよ。こんな場所で放置されるなんて尋常なことじゃないわ。理由を聞かなきゃこの人も浮かばれないわよ」
 こんな時でもピュラの声は強く通る。冷静な頭で考えている証拠だ。
「ボクも……この人とお話したいよ。こんなところで何もしないで死んじゃうなんて……」
「スイ――、」
 クリュウはもう一度スイの方に振り向いた。
 その場ではスイだけが一人立っている。
 スイはゆっくりと目を細めた。彼の蒼の瞳が一層、深くなってゆく……。
「――俺も、そう思う」
「……――うん。……わかった。やってみるよ」
 クリュウは意を決したように頷いて、そっと男の瞳に手をかざした。

 ―――ぱあ……っ!

「天空満ちる数多の星々、大地包む数多の花々、我かの力を欲す。その悠久の流れに背くとも、我この生命の声を聞かんとす」
 ゆっくりとクリュウの手から煌きが零れだし、しゅうしゅうと音をたてて、男が柔らかな波にも似た光に包まれる。
「かの星の流れ、命の如し。命の流れ、星の如し。願わくば精霊よ、我が想いを風に乗せ、遥か天空の星に伝えよ――」
 思わず近くにいたピュラとセルピは目を瞑った。ぱん、と光が弾け、辺りに風が巻き起こり、
「天空の星に届きし願い、久遠の流れを知りえる者へ――、魂よ、今一度、この地に召喚されたし――」
 ――ぱうっ!!
「精霊の御名において――、」
 長い詠唱を終えて、魔法が発動した。
 水路の水が振動に震え、悲鳴をあげる。
 思わずピュラたちは目を固くつむった。
 しゅうしゅうという音は更に強くなり、光を噴出しながらその場に何かの塊となって浮かび上がる。
 最初は不安定な光だったが、……それは段々と穏やかになり、最後には仄かな煌きとなって姿を留めた。
『――あなた方は……?』
 声に、ピュラは目を見開いた。
「せ、成功した……?」
 クリュウがぺたんと地にへたり込みながら呆然と呟く。
「やったじゃないクリュウ! あんたも偶には役にたつのね」
「偶にじゃないっ! ていうか昨日から魔法使いっぱなしでもうヘロヘロだよっ」
「ふにゃ〜、良かった、爆発で死んじゃうかと思った……」
「ホントね。私も一度はどうなるかと――」
『あの――』
「忘れられてるぞ」
 スイが淡々と呟く。
『そのようですね……』
 光は僅かに揺らめいてその場に浮いていた。
「そうだわ、すっかり忘れてた!」
『ええ、おかげさまで』
 柔らかで温和な声だ。染みるように辺りに響きわたる。
「……で、あなたは自分がどうなってるかの自覚はあるの?」
 ピュラが言うと、光は優しく光を放って紡ぐような澄んだ声を放つ。
『ありますよ。だってそこに僕の亡骸があるじゃないですか』
 セルピの顔が思わずくしゃっと歪んだ。
『泣かないで下さい。感謝したいのはこちらの方です。こんな場所で何も出来ずに一人で逝くなんて、それこそ哀しすぎますから……』
「うん、ボク泣かない……」
 セルピはぐし、と涙を拭って頷く。
「……で、なんであなたがここでこうなったのか説明してほしいんだけど」
『ええ、……でもその前に、勝手ながらお願いがあるのですが――、』
「お願い?」
『……今から言うことを、私の代わりにある人に伝えて欲しい――』
「ある人って、誰に?」
 ピュラが聞き返すと、……光はまたかすかに揺らめいて、静かに呟いた。

『――古代都市ナチャルアの守人、ナナクル・ナチャルア様に』


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