-Bitter Orange,in the Blaze-
上・灰色の時代 序.旅の目的
003.人溢れる食堂にて
人の声が数多に響く、夕方の食堂。
「スイ……、本当にあの仕事やるの?」
机の上に座ってパンの切れ端をかじりながら妖精が問う。
深い蒼の髪を持った男は、こく、と小さく頷いてまた口に料理を運んだ。
一番食堂が混む時間帯。しかし彼らにとってはそれが一番の時間。
人の波に紛れ周囲に溶け込むことが、目立つことを嫌う彼らにとって一番の手段なのだ。
食堂では様々な会話がなされている。仕事の駆け引きをするもの、談笑しながら酒を酌み交わすもの、――娘に声をかけて誘うもの……。
「だってそんなすごい魔物討伐やったら目立ったりしないかな……」
「クリュウ」
妖精がぴくりと顔をあげた。クリュウ、彼の名だ。
男は荷物の中から皮袋を取り出して机の上に乗せた。
―――皮袋の中はほとんど空に近いのか、ぐったりと袋は机に横たわる。
……妖精の少年の顔が、ものの見事に引きつった。
「こ、これってもしかして」
「今の全財産だ」
男はにべもなく言い放った。
呆然とする妖精を横目にその皮袋を手にとって開く。
……申し訳程度に、硬貨が数枚と紙幣が一枚、――中身はそれだけだった。
「今日宿に泊まったら破産だな」
「……みじめ……」
がっくりと妖精は頭をたれる。
「確かに少しは目立つが、仕方ない」
「了解……」
はらはらと小さな手を振って妖精は溜め息をついた。
「それにしても賞金30万ラピスの魔物、ねぇ……」
「……さぞかし強いんだろうな」
何処かで小さな口論が起こっているのか、心なしか食堂が先ほどよりも騒がしくなっている気がする。
「ねえ、いいじゃん今日くらい」
「……」
「ねえってば……」
耳につく声にふと目を向ければ、自分とは少し離れた席で断固黙秘を決めている娘と、しつこく声をかける男。
食堂ではよくある風景だ。
「セビアまではどのくらい?」
「ざっと二日くらいだな」
娘を誘う男はめげずに声をかけ続ける。
「何処の出身? 綺麗な髪だねぇ。ねえ、君の声が聞きたいな」
「……」
「恥ずかしがらないでいいんだよ?」
「それまでは無一文で自給自足だね……」
「そうだな……」
「これガーネットピアスじゃないかい? へえ、見せて……―――」
そうして男が彼女の耳に触れようとした瞬間。
娘の堪忍袋は、見事にぶちぎれたようだった。
「うるさーーーーーーーーーーいッッ!!」
突如として鳴り響く大声に妖精がびくりと肩を飛び上がらせる。
「へっ? ……な、……? ってスイっ!!」
―――どごッッ!!
瞬間、スイと呼ばれた男はくい、と首を前に傾けた。
次の瞬間に、スイの顔があったところを凄まじい速度で投げ飛ばされた男が突きぬけ――。
そのまた次の瞬間、床が抜けんばかりの音と共にその男が地にひれ伏した。
近くの者が呆然とする中、男を投げた娘が……どうやら食事中だったらしい、フォークを片手にずかずかと男に近寄る。
「いい加減にしなさいよッ!! あんたみたいな輩と誰が付き合うもんですか!! 誘うならもっと品のある誘い方しなさいッッ!! これだから文才のない男って嫌いなのよ! ちょっと聞いてるの!?」
がんがんと地面を蹴って怒鳴る娘だが、……どうやら先ほどので完全に伸びてしまったらしい。男は地面に顔をくっつけたまま、動かない。
「な、なんなんだろうあれ……ってスイ?」
妖精が声をかけたとき、既にスイは席を立っていた。
つかつかと娘に近付いて、
ぽん。
「なによっ!!」
きっ、と振り向く娘。照明にガーネットピアスが美しく煌く。
「……」
スイは何も言わずに彼女の瞳をたっぷり10秒間見つめ、
「な、なんか用……?」
訝しげな表情を作る彼女に向かって……。
「……―――」
「落ち着け」
娘が口を半開きにしたまま、見事に固まった。
***
「だってねぇ! 酷いと思わない!? ああいうのが一番ムカつくのよねッ!」
未だにフォークを手にしながらスイとクリュウの前でピュラは言いたい放題だった。
「乙女の心のキャッチの仕方がなってないわ! ていうか自分の顔を鏡で見てから口説けっていうのよねっ!ほんっといらつくわ!」
そして暫くの時間をかけてやっと全てを吐き出して、……ピュラはもう一度目の前の男、スイの姿を検証した。
―――はっきりいって、地味だ。
服も気を使ってる様子がないし、髪も雑に切ってあるだけ。
蒼の髪と同じ色の瞳は綺麗なのだから、髪をきちんと整えてそれなりの服を着ればかなり良く見えるのに、とピュラは正直に思う。
ふと見れば、机の上では苔色の髪を持つ妖精の少年……クリュウが唖然としながら彼女を見上げていた。
「なによ」
「い、いや……よく喋る人間だなぁと」
「うるさいわねっ! 人間は正直が一番よっ!」
クリュウは乾いた笑みを浮かべたままスイの方に目を動かした。
それに続いてピュラももう一度スイを見る。
よくよく見ると、机には使い慣れた剣が立てかけられていた。
古びてはいるが、手入れの行き届いた良い剣だということは剣に対して知識のない彼女でも分かる。
ぴん、とその瞳にひらめきが灯った。
「ね、もしかしてあなた……例の30万ラピスの魔物討伐に来たとか?」
「そうだが」
「あら奇遇ね。私もよ」
ブフウッッ!!
茶を飲もうとしていたクリュウが見事に噴いた。
「げほげほっ……ちょ、今なんて言った!?」
「あら奇遇ね、私もよ」
「賞金30万の魔物を一人で倒そうとしてたっていうの!?」
「そーよ、悪い?」
「死ぬって普通……」
「殺されても死なないから平気」
殺されても死なないというよりは殺されたら化けてでそうだ、とクリュウは暗に思う。
「……腕に自信がありそうだな」
「ええ、とりあえずね。あなたもそれなりに強いんでしょ?」
「……ある程度は」
そう言ってスイは立てかけた剣の柄を軽く指先で叩く。
その様子をぼんやりと見ながらピュラはふとギルドの主人が言っていたことを思い出した。
『せめて腕の立つ仲間でもつけないと返り討ちされるのがオチだよ』
『こうなったらクイールでも現れないと倒せないんじゃないかい』
孤高の銀髪鬼、クイール。炎の中に姿を消した、剣士……。
炎、あつくけぶり、燃え盛る炎――。
ふっと頭の中で揺らめいた映像を、ピュラはすぐにかき消した。今考えるべきことでもなければ、思い出すべきことでもないからだ。
それよりも今大切なのは自分の直感。昔から信用している、ひらめき。
今、意識の中で確かにそれが言ったのだ。―――きっとこの男は役に立つだろう、と。
確かに腕はたちそうだ。自分としても30万ラピスもの魔物に立ち向かうのは初めてだから、連れて行っても悪くないかもしれない――。
「……ねえ」
「なんだ?」
ピュラは言ってから数秒考えて、……にやりと笑って言った。
「お互い一緒の仕事しようと思ってることだし……どう? この仕事、私と組まない?」
二人の間にいるクリュウの瞳が、丸くなった。
「別にいいが」
「はい決定ねー」
「待て待て待ってッ! そんなあっさりと……」
「うっさいわね人間に羽根が生えた程度の分際で」
「僕にはクリュウって名前があるッ! っていうかなんで突然そうなるのっ!」
この妖精は本当にからかい甲斐があるとピュラは内心ほくそえんでいるのだが、もちろんクリュウは気付かない。
「どうせやるべきことは一緒でしょ。それにいざとなったらアンタたち盾にして戦えるし」
「さらっと物騒なこと言わないでよ……」
「というわけで、私はピュラって呼んでね。あなたの名は?」
満面の笑みを浮かべながら言う彼女に、スイは暫く沈黙してから目を伏せ、ぼそりと呟いた。
「……スイだ」
「スイにクリュウね。じゃ、これからよろしく」
にぱっと笑ってピュラは席を立ち上がる。
「明日の朝この店の前で待ってるから」
「ああ」
軽く手を振って、彼女は立ち去っていった。
そのまま彼女の姿はかろやかな足取りで食堂を後にする。
遠ざかる後姿を固まりながらクリュウは見送り、……はあ、と溜め息をついた。
「スイ、どーするの……」
「別にいいだろう、賞金は15万になったが」
「いやそういうことじゃなくてさ、……大丈夫なのかなあの人」
「そこそこ腕は立ちそうだな」
「だからそうじゃなくってさあ……」
また大粒の溜め息が漏れる。
「まあ、何も言わなければ気付かないとは思うけど……」
ごくごく小さな声でクリュウが呟くと、……スイは静かに瞳を閉じた。
***
次の日の朝、スイとクリュウが待ち合わせの場所に行くと、ピュラが不機嫌そうに待っていた。
「遅いわよ」
「得に時間指定はなかったが」
「あなたねッ! 女の子は待たせないのが常識よ!」
「朝から近所迷惑だぞ」
「あなたの行動の方が迷惑よっ」
ぷい、と顔をそむけて彼女は歩き始めた。
「全く……、早く行きましょ。こうしてるうちに他の人に仕事とられたらたまんないわ」
「そうだな」
今いる大陸――フローリエム大陸は起伏が少なく、草原が大半を占める大陸だ。町の入り口まで行くと、広大な野が続いている。
眩しく降り注ぐ朝の日差しにスイは軽く目を細める。
山とはまだ言えぬ軽い起伏が何処までも続く草原に、3人は足を踏み出した。
黄土色の大きな鳥が空の高いところを雄大に飛んでゆく。
まるで旅人たちを迎えるように、新たな旅立ちを祝福するかのように――。
この地域に魔物は少ない。
魔物と動物の定義はこの時代、ぼやけたものとでしかなかった。人を襲うものを魔物、そうでないものを動物、……人々は漠然とそう言っている。
しかし何故魔物が人を襲うのかは分かっていない。何故町を破壊し、人を殺めるのか――。
「あなたたち、行き先はあるの?」
「いや、ない」
スイはぼんやりと前を見つめたまま言う。
「あら、私と同じね」
ピュラはスイの横顔を見ながら僅かに笑って言った。
行き先のない旅人は数多にいる。
焼け出されたり家の事情などで帰るべき場所を失い、一つの場所にとどまることも出来ず、放浪しながらでないと生きてゆけない者たち。
「それにしても珍しいわねぇ、羽根の生えた耳の長い人間なんて」
「妖精って言ってよ!」
「ならハエ星人って呼ぶ?」
「至極遠慮させてもらうよっ」
既に涙目で羽根をぱたぱた動かしスイのマントにクリュウは隠れる。
……相変わらずスイはぼんやりと前を見つめたままだ。
すると不意に、スイの瞳が揺らぐ。
「……そうだ」
「何?」
「セビアには寄らずにこのまま魔物のいる森に行ってもいいか?」
「……は?」
前を見つめたまま言うスイにピュラは怪訝そうな顔をする。
「別にいいけど――なにか理由があるの?」
「金欠で」
ピュラはコケた。
確かに金がないのに町に行っても何も出来ない、……が、身も蓋もなくさらりと言われると脱力する事この上なかった。
「あ、あっそ……」
人生様々な人に出会うと思っていたが、この男には勝てないかもしれないと思い知るピュラだった。
そう思うと、スイと一緒に行った方がいいと思った自分の直感も、なんだか怪しく思えてくる。
「私ももう末期かしら……」
「え、何が?」
「ハエ星人は黙っときなさい。私は今、人生の境地に直面してるのよ」
「だから僕はハエじゃないってば!」
「じゃあ羽虫」
「虫じゃないって言ってるでしょ〜〜!!」
日はゆっくりと空を昇り、夏の輝きを大地に降らせる。
もうそろそろ夏も終わりに近付くか。
鮮やかに煌く野原のぼやけた先を見つめ、ピュラは軽い溜め息をついた。
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